(CNN) 中国が「ゼロコロナ」政策を緩和すると期待していた人々は、孫春蘭副首相に対し深く失望したことだろう。同氏ははっきりとしたメッセージによって、終わりが全く見通せない状況だと告げた。感染拡大の中心地となった上海を先ごろ訪れた時のことだ。
孫氏は中国が「力強いゼロコロナ」戦略を捨てることはないと宣言。その姿勢には「躊躇(ちゅうちょ)も動揺もない」とした。
当然ながら、上海では現在、厳格な措置へと舵(かじ)を切り、ウイルスを抑え込もうとしている。本来は的を絞った、効率的な手法によるパンデミック(世界的大流行)対策で知られる都市だった。
度重なる市を挙げての大規模検査や2500万人の住民に対するロックダウン(都市封鎖)に加え、濃厚接触者らを別の都市に移す措置も取られている。おそらくは世界最大であろう隔離施設のベッド数は4万床に上る。
コロナで陽性判定を受け隔離された子どもたちは、親から引き離された。6日には、防護服を着た人物が通りで意図的に1匹のコーギー犬を殺したと報じられた。飼い主が陽性で隔離措置となったため、犬にもウイルスが感染したのではないかと恐れての行動だったという。
中央の指導部は、もはや伝統に逆らうような政策の実施を容認しない。地方政府は「最短期間でウイルスの感染拡大を抑え込むために最大限の努力をする」よう指導されている。
習近平(シーチンピン)国家主席の指示によるとみられる今回の新たな命令は、高圧的な感染抑止策を支持する内容だ。大規模PCR検査、強制隔離、都市全体のロックダウンなどがこれに該当する。
2年前に始まった中国のゼロコロナ政策は、湖北省武漢での事態の収束を受けて新たな段階に入った。いったん挙げた成果を確実なものとするため、大規模なワクチン接種のための時間を稼ぐ間、中国は大掛かりな検査と積極的な感染追跡で新たな感染者を特定。濃厚接触者と併せて隔離措置の対象としている。その後で当該地域の感染者数をゼロに戻す。
昨年の夏までその戦略は功を奏し、感染者数は極めて低い水準を維持できていた。ところが、やがて変異株のデルタ株の感染が拡大し始めたことで問題に直面。今春のオミクロン株の到来に至り、上記のようなウイルスを完全排除する戦略の実現は一段と困難になっている。
政府は3月下旬、戦略を少し変更し、自宅で使える迅速抗原検査キットを承認。新たな指針を発表して無症状者や軽症者の入院義務を取り下げた。
この措置は国がより的を絞った、柔軟な手法を優先するようになったとの印象を与えた。このままいけばゼロコロナからの脱却にもつながると思われたが、最近上海で起きた感染者の急増はそうした手法の失敗を際立たせた。的を絞るやり方では、新たな変異株の感染拡大を食い止めることはできないことを示す形となった。
今は改めてゼロコロナが強調され、これが中国の政治的支配層の中での悪しき誘因構造を強化する事態にもなっている。
体制の頂点に権力が集中する状況にあって、地方政府の当局者らは自らのキャリアアップを念頭に、いち早くゼロコロナ政策の流れに飛び乗る。それが習氏並びに同氏の好む政策課題への忠実さをアピールすることにつながるからだ。
こうした動機は政治的野心家にとって格段に強く働く。具体的には中国共産党中央委員会やさらに上の最高意思決定機関、政治局常務委員会の椅子を熱望する人々だ。こうした指導部の入れ替えが、今年の第20回党大会で行われる。習氏は総書記として前例のない3期目を目指すとみられているが、これは長年にわたり設定されてきた役職の在任期間の上限に反対する動きに他ならない。
全国レベルでは、各都市が相次いで大規模検査を実施。これらの検査は感染者がいない中でも行われた。ロックダウンは感染者が1桁台であっても課されている。武漢での感染拡大の際には全国から医療従事者を動員したが、それを彷彿(ほうふつ)させるように3万8000人を超える医療スタッフが15の省から上海に派遣され、ウイルスとの戦いの支援に当たった。
習氏はゼロコロナ戦略のコストを最小限に抑えたい意向だが、今回の新たな取り組みによって経済が受ける損害は急速かつ急激に膨れ上がるだろう。経済学的には国内消費を一段と押し下げ、サプライチェーン(供給網)の混乱が悪化。投資家の脱出にも拍車がかかる。
ゼロコロナのみの追求は社会的な影響も伴う。例えば平時及び緊急時の医療へのアクセスが失われる。政策によって痛い目を見る人が増えれば、それだけ国民のゼロコロナに対する不満が拡散する恐れがある。不安から来る行動は(上海でのパニック買いに見られたように)、社会政治的安定を脅かすだろう。それによって党大会前の指導部の移行に混乱が生じるかもしれない。
疫学的観点で言えば、国民をウイルスから遠ざけ、ワクチン接種の問題を棚上げすることで、中国は世界各国との巨大な免疫ギャップを持続させるだろう。それにより、逆説的ながらゼロコロナからの脱却を正当化するのが一段と難しくもなる。ウイルスと共存する代わりに、中国国民は極端に犠牲の大きい政策とともに暮らすのを余儀なくされるかもしれない。
では、中国のゼロコロナ政策の限界点とはいったいどこだろうか? 政府の医療部門の最高顧問を務める曽光氏が昨夏述べたように、中国が制限を解いてウイルスと共存するようになるのは、政策の費用が便益を上回った時になるだろう。
同氏が予見していなかったのは、政策の費用と便益を比較検討する取り組み自体が今や高度に政治化されているという点だ。実績に基づいて権力の正当性が認められる中国にあって、社会経済的コストが高いとの理由でゼロコロナ政策を転換するのは、習氏個人の指導力に傷をつける行為となる。同氏は総書記の3期目を狙う立場であり、本人の利害もまた政策と結びついている。
実際、最近の新華社通信の記事が再三述べているところによると、習氏は「自ら命令を発し、人員などの配置を直接決める」形で中国におけるコロナとの戦いに臨んでいるという。
そればかりか同政策を捨て去ることは、現体制の正統性にとっても打撃となる。もはや中国の政治システムが西側より優れているとの主張が成り立たなくなるためだ。2021年1月、習氏は次のように述べていた。「このパンデミックにどう対処しているかという視点で異なる指導層や(政治)体制を評価すれば、どこがよりうまくやっているかは明らかだ」
共産党と習氏個人は、中国国内でウイルスの蔓延(まんえん)を封じ込めることで多大な利益を得てきた。当初の武漢での感染拡大では対応を誤ったにもかかわらずだ。
深圳の新聞が最近掲載した記事は、ゼロコロナかコロナとの共存かという議論を「根本的に」政治システム同士の競争だと位置づけている。仮に中国がどうにかゼロコロナ的手法を採用し続けて大規模な感染を回避し、他のすべての国々がウイルスとの共存を選択するのなら、その時点でこそ議論は現状よりはるかに説得力のあるものになる。中国の国家としての強靭(きょうじん)さや、問題処理能力の高さについて、もっと納得のいく形で論じられるようになるだろう。
政治的な利害が極めて大きいため、ゼロコロナ政策に付随するとてつもないコストへの懸念は二の次にされている。とにかく是が非でも、いかなる犠牲を払っても遂行するというやり方で進められているのが実情だ。
トップの指導層がゼロコロナに固執する精神構造を変えない限り、この政策は続く。ある国家主義者がブログにつづった言葉を借りれば、中国は「ゼロコロナとの共存を覚悟した方がいい。少なくとも向こう10年は」
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ヤンゾン・ファン氏は米シンクタンク、外交問題評議会(CFR)のグローバルヘルス担当シニアフェローで、シートン・ホール大学外交国際関係学部教授を務める。専攻はアジア。著書に中国の環境衛生問題を扱った「Toxic Politics: China’s Environmental Health Crisis and Its Challenge to the Chinese State」がある。記事の内容は同氏個人の見解です。