だが9日のプーチン氏の発言をじっくり読んでみると、合理的な地政学的交渉というめっきははがれ落ちる。
「ある種の指導力を主張するためには、私が言おうとするのは国際的指導力ではなく、どの分野にも共通して言える指導力だが、どんな国も、どんな国民も、どんな民族も主権を確立しなければならない」とプーチン氏。「間を取るとか、中間状態などはありえないからだ。主権をもつ国か、植民地のいずれかだ。植民地を何と呼ぼうと構わないが」
言い換えれば、国家には主権国家と属国の2つのカテゴリーが存在するということだ。プーチン氏の帝国主義的な観点からは、ウクライナは後者に収まることになる。
プーチン氏はずいぶん前から、ウクライナには正当な国家としての主体性がなく、実質的には欧米諸国の傀儡(かいらい)政権だと主張してきた。すなわちプーチン氏はウクライナ人は権限を持たない被支配民族と考えているのだ。
ピョートル大帝の記憶を呼び起こしたことで、プーチン氏の計画がある種の歴史的運命感に突き動かされていることも明らかになった。プーチン氏の帝国復興構想は、理論的には、かつてロシア帝国またはソビエト連邦に属していた領地にまで及びかねない。ソ連崩壊後に独立した国々で警戒が高まるのも当然だ。
親政府派の統一ロシア党の代表は先週、ロシア下院議会に法案を提出した。リトアニアの独立を承認したソ連時代の決議を廃止しようという内容だ。リトアニアは現在NATOの加盟国で欧州連合(EU)の一員だとしても、プーチン氏のロシアでは、こうしたネオ植民地主義的な姿勢が大統領への忠誠を確実に示す手段なのだ。
これはロシアの未来にとって良い兆しとは言えない。ロシアの帝政の過去を、ソ連だろうと、ツァーリの支配だろうと、清算しないかぎり、たとえプーチン氏がいなくなっても、ロシアが近隣国に繰り返し行ってきた侵攻を止める、あるいはより民主的な国家になるといった可能性は低い。
米国のズビグネフ・ブレジンスキー元国家安全保障問題担当大統領補佐官は、ロシアがウクライナの主権を自ら進んで手放さないかぎり、帝国時代の慣習を捨て去ることはできないだろうと断言したことで有名だ。
ブレジンスキー氏は1994年に、「ウクライナがなければロシアは帝国でなくなるが、ウクライナを不法な手段で手に入れて従属させれば、ロシアは自動的に帝国になる。このことはいくら強調してもし足りない」と書いている。
だがプーチン氏のよりどころはまるで正反対だ。プーチン氏の主張によれば、ロシアが存続するためには帝国であり続けなければならない。たとえ人的代償を払うことになろうとも。