ANALYSIS

中東の勢力均衡の変更を望むイスラエル、歴史が示す警告

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
イスラエル軍の攻撃によって上空に立ち上る煙

イスラエル軍の攻撃によって上空に立ち上る煙

ベイルート(CNN) イスラエルのネタニヤフ首相は28日、イスラム教シーア派組織ヒズボラの指導者ハッサン・ナスララ師の殺害は「今後何年にもわたるこの地域の勢力均衡」を変える一歩だと宣言した。

ネタニヤフ氏は中東の勢力を根本的に再編する機会が訪れているとみており、ヒズボラが致命傷を負ったと見なしている可能性がある。しかし、完全な勝利はとらえどころがなく、望んだものを手に入れた者はしばしば後悔することになる。

イスラエルは17日以降、レバノンで、イランの支援を受けるヒズボラに次々に打撃を与えてきた。ポケベルとトランシーバーの爆破に始まり、ベイルート南部への大規模な空爆では上級司令官イブラヒム・アキル氏(および少なくとも二十数人の民間人)が死亡。その3日後には爆撃作戦を展開し、27日夜までに爆撃で複数の建物を倒壊させ、ナスララ師が死亡。ヒズボラの幹部はほぼ完全に排除された。

しかし最近の歴史は、レバノンと中東全般に地殻変動を起こすという壮大な野望を抱いているイスラエルの指導者やその他の人々に苦い教訓を与えるばかりだ。

1982年6月、イスラエルはパレスチナ解放機構(PLO)を壊滅させるべくレバノンに侵攻した。さらに首都ベイルートにキリスト教が統治する従順な政府を樹立し、シリア軍を国外に追いやることも望んだ。

この三つはすべて失敗した。確かにレバノンのPLOは米国が仲介した協定のもと、国外退去を余儀なくされ、チュニジア、イエメンなどに追放された。しかし、パレスチナ人の願望をPLOとともに鎮圧するという目標は失敗に終わった。5年後、パレスチナ人による第1次インティファーダ(対イスラエル民衆蜂起)がパレスチナ自治区ガザ地区で勃発し、ヨルダン川西岸地区に拡大。今日、パレスチナ人はこれまで以上にイスラエルの占領をかたくなに拒絶し、抵抗している。

イスラエル軍による軍事作戦で荒廃した街中を歩くレバノンの女性=1982年7月/Dominique Faget/AFP/Getty Images
イスラエル軍による軍事作戦で荒廃した街中を歩くレバノンの女性=1982年7月/Dominique Faget/AFP/Getty Images

侵攻当時、レバノンにおけるイスラエルの主な同盟者は、議会で大統領に選出されたマロン派キリスト教民兵のリーダー、バシール・ジェマイエル氏だったが、就任前にベイルート東部で起きた大規模な爆発で暗殺された。同氏の兄弟アミン氏が後任となり、アミン氏のもと、米国の積極的な関与と支援を受け、レバノンとイスラエルは83年5月、正常な二国間関係を確立するための協定に署名した。しかし激しい反対に直面し、翌年2月に政府は倒れ、まもなく協定は破棄された。

82年9月の「サブラ・シャティーラ虐殺」の後、米国はベイルートに部隊を派遣。だが、在レバノンの米大使館に対する2度の爆破事件や、83年10月に起きた米海兵隊とフランス軍の兵舎に対する爆破事件を受けて、レバノンから撤退した。

レバノン内戦は再燃。6年以上も激しい戦闘が行われた。

76年にアラブ連盟の委任により「抑止力」としてレバノンに駐留したシリア軍は、ハリリ元首相が暗殺された2005年まで駐留を続けた。

1982年のイスラエル侵攻の最も重大な結果はおそらくヒズボラを誕生させたことだ。ヒズボラは執拗(しつよう)なゲリラ戦を展開し、イスラエルをレバノン南部から一方的に撤退させた。これは、アラブの軍事力がイスラエルをアラブの地から撤退させることに成功した最初で唯一の例だ。イランの支援を受けるヒズボラは、イスラエルが駆逐に成功してきたパレスチナの武装組織よりもはるかに強力で効果的であることを証明した。

ヒズボラは2006年にイスラエルと交戦し、膠着(こうちゃく)状態に陥った。その後数年間にイランの多大な支援を受け、ヒズボラはさらに力をつけた。

ヒズボラの最高指導者ナスララ師が殺害された現場の近くに集まった人々=29日、レバノン首都ベイルート南郊/Hassan Ammar/AP
ヒズボラの最高指導者ナスララ師が殺害された現場の近くに集まった人々=29日、レバノン首都ベイルート南郊/Hassan Ammar/AP

ヒズボラは現在、機能不全に陥り、混乱し、イスラエルの諜報(ちょうほう)機関に侵入されていることは明らかだが、それでもその墓碑銘を刻むのは時期尚早だろう。

限りない傲慢(ごうまん)さの代償を示した教訓には、レバノンとイスラエル以外にも03年の米国主導のイラク侵攻がある。イラク軍が崩壊し、米軍が首都バグダッドに急行する中、ジョージ・W・ブッシュ政権は、サダム・フセイン大統領の打倒がイランとシリアでの政権崩壊と、中東全体での自由民主主義の開花につながるという幻想を抱いていた。

代わりに米国のイラク占領は宗派間の暴力による血の海をもたらし、米国は人命と財産という大きな代償を払ったが、イラク国民の犠牲はそれ以上だった。フセイン大統領の殺害により、イランはイラクの政治体制の中枢にまで影響力を拡大した。米国主導のアフガニスタン侵攻で粉砕された国際テロ組織アルカイダは、イスラム教スンニ派住民が集住する三角地帯「スンニ・トライアングル」で復活し、最終的にはシリアとイラクで「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」へと変貌(へんぼう)した。

筆者はこれを書いている今、攻撃を受けるベイルート南郊から煙が上がっているのを目にしている。06年のイスラエルとヒズボラの戦闘中に当時のライス米国務長官が、目撃している流血と破壊は「新しい中東の産みの苦しみ」だと形容した言葉を思い出す。

新しい夜明けや新しい中東の誕生、中東地域の新たな勢力均衡を宣言する人々には注意しよう。レバノンはあらゆる失敗の可能性の縮図だ。レバノンは予期せぬ結果の地だ。

本稿はCNNのベン・ウェデマン記者による分析記事です。

メールマガジン登録
見過ごしていた世界の動き一目でわかる

世界20億を超える人々にニュースを提供する米CNN。「CNN.co.jpメールマガジン」は、世界各地のCNN記者から届く記事を、日本語で毎日皆様にお届けします*。世界の最新情勢やトレンドを把握しておきたい人に有益なツールです。

*平日のみ、年末年始など一部期間除く。

「Analysis」のニュース

Video

Photo

注目ニュース

このサイトでは、利用状況の把握や広告配信などのために、Cookieなどを使用してアクセスデータを取得・利用しています。 これ以降ページを遷移した場合、Cookieなどの設定や使用に同意したことになります。
Cookieなどの設定や使用の詳細、オプトアウトについては詳細をご覧ください。
[ 閉じる ]