古代エジプト石棺の謎解明、小さな装飾が解き明かしたファラオの名は
もう一つのヒントは、この棺に納められていた二人目の人物、大司祭メンケペルラーと関係がある。メンケペルラーと半分血のつながった兄は、プスセンネス1世と呼ばれたエジプト王で、この人物も王家の谷で見つかったある石棺を再利用していた。それがラムセス2世の後継者となった息子、メルエンプタハの棺だった。
ペイロドー氏によると、埋葬品の再利用には二つの目的がある。当時は経済危機の中で質素倹約が命じられていた。一方で、古代エジプトの栄光時代とされるラムセス2世の新王朝時代を、続く支配者たちと結び付ける目的もあった。
略奪防止
ラムセス2世が入れ子構造の三つの棺に納められていたことも、今回の発見で確認された。最初の棺はツタンカーメン王のように金でできていたと考えられるが、略奪で失われた。二つ目の棺は1990年代に王の墓で行われた修復作業中に、雪花石膏(せっこう)の断片が見つかった。いずれも、今回の発見につながったさらに大きな石棺の内側に納められていたと思われる。
「これで王家が複数の石棺を使い始めた時期も分かった」「ラムセス1世の時代は一つだけだったが、ラムセス2世の後継者は略奪を防ぐために四つの石棺を使っていて、それが広まった。一つから四つに飛ぶのは奇妙だったが、これで二つから四つになった。論理的進化だ」(ペイロドー氏)
石棺の断片は今もアビドスの保管庫に収納されているが、今回の発見についてはエジプト当局に連絡しており、博物館に移されることを望むとペイロドー氏は話している。
同じ分野の研究者は今回の発見を一様に評価した。
英ヨーク大学のジョアン・フレッチャー教授は、新たな発見や解釈によって、今も古代エジプトの物語が展開し続けていることを示す素晴らしい研究成果だと指摘。「最終的に見つかった場所も興味深い。ラムセスの石棺は再利用されただけでなく、当時エジプト最大の宗教地で、エジプト王家の精神的な故郷と考えられていたアビドスに移された」と解説している。