ブラジルサッカー界のレジェンド、ペレさん死去 82歳
次のW杯優勝は1962年だった。ただ、ペレさんはけがのため、大会の後半は欠場した。66年の大会もけがに阻まれ、ブラジルは1次リーグで敗退した。
その屈辱を晴らしたのが70年だった。イタリアに4対1で勝利した決勝戦。ブラジルはW杯史上、最も有名なゴールを決めた。10人のうち9人がピッチを駆け抜けてペレさんがパスを繰り出し、カルロス・アルベルトがゴールに叩き込んだ。まさに、ブラジル人がよく言う「ジョゴ・ボニート(美しいゲーム)」そのものだった。
70年のW杯を前に引退を考えたというペレさんも、この決勝戦で同大会4度目となるゴールを決めた。
ペレさんのW杯のキャリアはこれで終わったが、75年には年棒167万ドルの契約を結んで米ニューヨーク・コスモスに入団している。
ペレさんの貢献でコスモスは77年、北米サッカーリーグ優勝を果たし、ペレさんはその後、サッカーを正式に引退した。
その後もブラジルで貧しい人たちのために声を上げ、ユニセフの親善大使を長年務めて平和と弱い立場にある子どもたちの支援を訴えた。
「いつか死んだとしても私は幸せだ。最善を尽くそうとしてきたから」「スポーツのおかげでそれができたのは、それが世界最大のスポーツだからだ」。ペレさんはオンライン誌「トークス」にそう語っていた。