鉄道ファンがオリエント急行の「謎」を解明するまで
「列車があると狙いをつけていた場所に向かって車を走らせること数時間、人が行きかう国境地帯に到着した時には夜だった」(メテタル氏)
暗闇だった上に、辺りは雪が降り積もっていた。それでも2人の男性には青い車両が見分けられた。車体の側面には「ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行」と塗装されていた。1970年代、オリジナルの車両でパリ―イスタンブール間を運行していた民間鉄道会社の名称だ。メテタル氏と友人は歓喜に沸いた。
「あの気持ちは言葉では言い表せない。ずっと調査していたもの、グーグル3D表示で見ていた列車が目の前にあった」とメテタル氏は振り返る。
場所が国境付近だったため、メテタル氏と写真家の友人はその場を立ち去るよう警察に命じられた。翌日の明け方、2人は通訳を引き連れて戻ってきた。アコーの子会社オリエント・エクスプレス社の副社長で、オリエント急行の検分に興味を示したギヨーム・ド・サンラジェ氏も一緒だった。
朝日が昇る中、一行は車両をひと周りした。車両は20年代から30年代ごろのもので、少なくとも10年はここで休眠状態だったとメテタル氏は推測した。
メテタル氏いわく、車両内部をのぞくとまたもや「歴史家にとって格別の瞬間」が訪れた。
メテタル氏は列車の中に入ったときには興奮したと振り返った/Xavier Antoinet
「内装はすべて当時のままで、まるで時間が止まっていたかのようだった」とメテタル氏は言い、「経年劣化だけで、あとはほぼ無傷だった」と付け加えた。
13両のうち9両は豪華寝台車だった。
「それから丸2日かけて内装や外装をくまなく記録しつつ、車両の歴史やここに停車されていた理由についても調査も続けた」(メテタル氏)
アコーのオリエント・エクスプレスのチームはその後2年かけて、マワシェビチェの列車の所有者を突き止めた。ドイツやスイスなど他の国々でも、さらに4両の車両が停車されているのを発見した。アコー社は交渉の末、寝台車12両、食堂車1両、専用ラウンジ3両、貨物車1両、合計17車両を購入。これらは警察の護衛のもと、欧州を横断してフランスに輸送された。