ノルマンディー上陸作戦から80年 「最初に解放された」家がたどった奇妙な運命

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上陸作戦後、後に「カナダ人の家」として知られるようになる邸宅の前で対面したフランス人の住民とカナダ軍の兵士/Galerie Bilderwelt/Hulton Archive/Getty Images
写真特集:「最初に解放された」家がたどった奇妙な運命

上陸作戦後、後に「カナダ人の家」として知られるようになる邸宅の前で対面したフランス人の住民とカナダ軍の兵士/Galerie Bilderwelt/Hulton Archive/Getty Images

仏ベルニエール・シュル・メール(CNN) 目指すは霧の立ち込める砂浜にぽつんと建つ、2階建ての優美な邸宅。付近に民家はなく、地雷原とトーチカ(防御陣地)、敵の機関銃の台座があるだけだ。

1944年6月6日、ノルマンディー上陸作戦の決行日。曇り空の朝、カナダ兵を乗せた10隻のボートは英仏海峡の荒波を越え、1500ヤード(約1.4キロメートル)にわたるノルマンディーの海岸線へ向かった。邸宅はそこに建っていた。

世界最大規模の海上侵攻作戦で、兵士たちに与えられたささやかな任務はベルニエール・シュル・メールの海岸の町を奪還すること。邸宅の占拠が一番の目的だった。兵士たちは航空写真から、その邸宅を鉄道駅だと思い込んでいた。実際のところは何であれ、連合軍の作戦立案者は海岸の制圧後、ここを海の見張り台にしようと考えていた。

カナダ軍部隊の上陸の様子。中央に見える家はなんとか戦闘を生き延びた/Imperial War Museum/AFP/Getty Images
カナダ軍部隊の上陸の様子。中央に見える家はなんとか戦闘を生き延びた/Imperial War Museum/AFP/Getty Images

邸宅に到達するには、人気のない砂浜を横断しなければならない。どこにも身を隠す場所のない強襲上陸になることが予想された。

午前7時15分、兵士たちが浜に上陸すると、容赦ない機関銃と迫撃砲の嵐が襲い掛かった。20分もすると、第1陣の攻撃をなんとか免れた兵士たちは邸宅にたどり着き、屋内にいたドイツ兵を追い払った。十中八九、ノルマンディー上陸作戦の部隊が上陸後に解放した最初の民家だった。

損失も甚大だった。戦闘開始からものの数分で、上陸したカナダ兵約100人が戦死した。

あれから80年、木骨作りの邸宅は今も変わらず建っている。現在は「La Maison de Canadiens(カナダ人の家)」と呼ばれ、1組のフランス人夫婦のおかげで、フランス解放に命を捧げたカナダ兵の追悼記念館になっている。

見知らぬ人たちを迎え入れる

多くの修理の手が入ったものの、外観はノルマンディー上陸作戦当時とほぼ同じだ/Joshua Berlinger/CNN
多くの修理の手が入ったものの、外観はノルマンディー上陸作戦当時とほぼ同じだ/Joshua Berlinger/CNN

ニコールさんとエルベさんのオフェー夫婦は75年に結婚した。子どもが生まれてからは、代々受け継いだベルニエール・シュル・メールの別荘で過ごすことが多くなった。ニコールさんは、家と浜辺を隔てる遊歩道で人々がよく歩みを止め、写真を撮っていることに気が付いた。夫に理由を聞いたが、夫も分からなかった。

別荘が建てられたのは28年。2人の子どもにバカンス用の家を作ってやりたいと考えたパリの男性が、ひとつは娘用、ひとつは息子用にと、2軒の家がつながる邸宅を建てた。その後36年にエルベ・オフェーさんの祖父母が、娘側の家を購入した。

別荘が42年にドイツ軍に占領され、5年後に家族に返還されたことはオフェー夫妻も知っていた。幸いにも家はほぼ無傷だった。ノルマンディーの戦いでは、連合軍の砲撃で数えきれないほどの民家が破壊されていた。

だが、写真を撮る人が後を絶たない理由は謎だった。そこで夫妻が尋ねてみると、写真を撮っていた人の多くがカナダ人の退役軍人で、作戦決行日に上陸した土地を再訪していることが判明した。夫妻は退役軍人を家に招き入れ、ビールやカルバドス(ノルマンディー名産のりんごの蒸留酒)や食事をふるまい、退役軍人が思い出を語るのを聞いた。

数多くのカナダの退役軍人を家に招き入れてきたニコール・オフェーさん/Joshua Berlinger/CNN
数多くのカナダの退役軍人を家に招き入れてきたニコール・オフェーさん/Joshua Berlinger/CNN

「家族からも、どうして見知らぬ他人を家に上げるのかと叱られた」とニコール・オフェーさんは言う。「私に言わせれば、あの外国の人が来なかったら自分たちは存在していなかったかもしれない。あの人たちは自由を運んでくれた。自分たちの命を犠牲にして」

オフェー夫妻はいつも、出会いの最初の瞬間にとくに胸を打たれた。ニコールさんによれば、退役軍人は腰を下ろすと、まるで何十年も停止していた映画のワンシーンのように窓から外を眺める。その後、退役軍人は家族や友人にも語ったことがない話を語り始めるという。

退役軍人と会うたびに、オフェー家の別荘にまつわるエピソードが次々出てきた。

カナダ兵が上陸作戦の決行時間(Hアワー)に上陸すると、屋内のドイツ兵がベンチに据えた機関銃で、玄関の窓から狙いを定めて発砲した。銃弾を免れた兵士らは近くの堤防に隠れ、そこで態勢を整えてドイツ軍を家から撃退した。

ニコールさんによれば、別荘を再び訪れた兵士らは堤防がなくなったことに驚くという。堤防は長い年月で砂に埋もれてしまったが、家は今もほぼ当時のままだ。

戦争の記憶にあふれた別荘

家の中はさまざまな記念品などであふれている。中央に写っている十字架が戦時中に兵士によって発見されたもの/Joshua Berlinger/CNN
家の中はさまざまな記念品などであふれている。中央に写っている十字架が戦時中に兵士によって発見されたもの/Joshua Berlinger/CNN

気がつけば、何年も退役軍人の巡礼が続くうちに、オフェー夫妻に記念品を持参する者も次第に増えていった。あまりの数に、別荘は今や博物館も兼ねている。数千とはいかないまでも、数百人の退役軍人や家族がジュノー海岸を再訪し、来訪者名簿に署名した。そのうちの一人、アーニー・ケルズさんは、ドイツ兵を追い払うために家の地下室に手榴弾(しゅりゅうだん)を投げ込んだことについて謝罪までした。

壁を飾る勲章、旗、絵画、その他記念品の中に、キリストの姿をほどこした十字架がある。兵士のポケットに入れられていた際、十字架の片方の腕が爆弾で吹き飛ばされたとみられる。この兵士は近隣の家で無傷な状態の十字架を拾ったが、銃弾の破片が十字架に当たったおかげで命拾いしたらしい。年月が流れ、死の床についた兵士は十字架をオフェーさんの家に返却してほしいと家族に頼んだ。

「家の中はたくさんの思い出にあふれている」(ニコールさん)

ゲストブックにはたくさんの名前が。中には手りゅう弾を投げ込んだことを謝罪する人も/Joshua Berlinger/CNN
ゲストブックにはたくさんの名前が。中には手りゅう弾を投げ込んだことを謝罪する人も/Joshua Berlinger/CNN

最終的にオフェー夫妻は、戦死したカナダ兵を弔う独自の儀式を行うようになった。6月6日の1週間ほど前から、灯篭(とうろう)に火をともしてバルコニーに設置する。そして上陸作戦が行われた日の夜、バグパイプの演奏をバックに灯篭を海に放ち、訪問客は波打ち際に花や十字架を手向けるのだ。

エルベ・オフェーさんは2017年に急死するまで、灯篭流しを取り仕切った。亡き夫の遺志を継ぎ、ニコールさんは夫の生前よりもさらに多くの退役軍人を家に迎えている。

「今ではツアー化して、バスに乗りつけては家の中を見せてくれないかときかれる」(ニコールさん)

ノルマンディー上陸作戦から80周年を迎える今年、オフェーさんの家には大勢の訪問客が訪れる見込みだ。今年はいつもの訪問客の群れに加え、西側の家が初めて一般公開される。地元自治体が購入した西側の家では、上陸作戦当時に幼少期をこの家で過ごしたフランス人男女の証言をテーマにした展示が開催中だ。

家の隣の壁に展示された上陸作戦時を捉えた写真/Joshua Berlinger/CNN
家の隣の壁に展示された上陸作戦時を捉えた写真/Joshua Berlinger/CNN
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