プランテーションの小作人の家に生まれ1世紀、投票権の歴史を歩んだ男性が票投じる
(CNN) ロバート・H・スミス・シニアさんは99年の人生で多くを経験した。
ルイジアナ州のプランテーションで分益小作人の息子として生まれ、陸軍兵士として第2次世界大戦に参加し、教育者として歴史的黒人大学で数十年間働いた。
スミスさんは自分を含む多くのアフリカ系米国人が投票できなかった時代を覚えている。1942年に21歳になったとき、ルイジアナ州では有権者登録は認められなかった。初めて投票できたのは46年、戦争から戻ったときだった。
合衆国憲法修正第15条は1870年にアフリカ系米国人男性に選挙権を与えた。だが、その後も多くの州で差別的な投票慣行は残り、約100年後の投票権法施行まで黒人は実質的に投票を禁止されていた。
スミスさんが10日前にミシシッピ州ジャクソンで投票の列に並んだとき、そうした過去を思い出していた。
「投票権を得る全ての過程を生きてきた。だから(投票に)参加できることに満足している」とスミスさんはCNNに語った。
ミシシッピ州ジャクソンで投票したスミスさん/courtesy Rhonda Smith
スミスさんは大統領選をつぶさに見て、両候補者の掲げる国のビジョンに耳を傾けた。投票は息子の助言を受けて一票を投じた。
投票待ちの長い列の動きは遅かったが、人々が憲法上の権利を行使するのを見られてうれしいとスミスさんは語る。
ルイジアナのプランテーションに生まれて
スミスさんは1921年、ルイジアナ州の小さな町レイビルのプランテーションで生まれた。父は分益小作人で、後にバプテスト派の牧師となった。
スミスさんは家族で初めて高校を卒業し、大学へと進学した。だが、第2次世界大戦で陸軍に徴兵され学業は中断。ニュージャージ州の駐屯地に配置され、仲間とともに繰り出した夜のニューヨーク市で未来の妻と出会った。
戦争後に結婚し学業を再開。ルイジアナ州の大学で学位を、イリノイ州の大学で修士号を取得。博士号の取得後は、フロリダA&M大学で20年以上教授を務めた。妻と3人の子どもも一緒に暮らした。
その後ミシシッピ州に移り、2002年まで大学の要職を務め引退した。大学で学生に教えること、若者の模範となることが好きで、教育に携わることが「仕事」だとは感じなかったという。
市民が投票所へ向かう中、次の大統領を決めるのに発言権があることに心がおどるという。「リーダーを選ぶのに役割を担えることは気分がいい」とスミスさんは語った。