米軍、原爆投下に使ったテニアン島の飛行場を再建へ 中国への対抗
第2次大戦で重要な役割果たす
テニアン島は近くのサイパン島、グアム島とともに、米空軍作戦で数多くの歴史を残してきた。
第2次大戦では3島が日本軍の支配から脱した後、日本本土を爆撃するB29スーパーフォートレス爆撃機の発進地となった。
歴史上最多の犠牲者を出した爆撃、1945年3月10日の東京大空襲では、焼夷(しょうい)弾による攻撃で10万人が死亡、100万人が負傷した。この攻撃も3島から発進したB29が実施した。
原子爆弾が一時的に置かれた「原爆ピット」。ここで爆撃機に原子爆弾が積まれた/Brad Lendon/CNN
日本に容赦ない爆撃を続けた45年、ノース・フィールドは約2400メートルの滑走路4本、要員4万人を擁し、世界で最も大きく忙しい飛行場だった。
そして45年8月6日、ノース・フィールドは歴史に名を刻むこととなった。未明に「エノラ・ゲイ」と名付けられたB29爆撃機が原子爆弾を積んでエーブル滑走路を離陸。爆弾は広島に投下され、最初の爆発で7万人が死亡。世界は核の時代へと突入していった。
3日後には「ボックスカー」と名付けられた別のB29がテニアン島から離陸した。長崎に原爆を投下し、最初の爆発で4万6000人が死亡した。