40年前の米未解決無差別殺人事件、現在の市販薬のあり方を変えるきっかけに
ワシントン(CNN) パトカーがゆっくりと通りを走り、拡声器から「追って通知があるまでタイレノールを服用しないように」との呼び掛けが流れる。1982年秋の米イリノイ州シカゴ郊外の光景だ。
この警告につながった「タイレノール殺人事件」として知られる出来事は何百万人もの米国人の背筋を凍らせた。
始まりは同州エルクグローブビレッジに住むメアリー・ケラーマンさん(当時12)が82年9月29日朝、気分が悪いと両親に告げたことだった。タイレノールのカプセルを1錠飲んだ後、メアリーさんはバスルームの床に倒れ込み、直後に死亡した。
同じ日、同州アーリントンハイツから16キロも離れていない場所で郵便局員のアダム・ヤヌスさん(当時27)がタイレノールのカプセルを2錠服用した後、近くの病院で死亡した。その日の午後に家族が集まり、兄弟のスタンリー・ヤヌスさんと妻のテレサさんも同じ瓶からタイレノールのカプセルを服用したところ、2人とも床に倒れ、後に死亡が確認された。
その後数日間のうちにシカゴ郊外でさらに3人がタイレノールを服用して死亡。死亡した7人はシカゴ郊外の同じ地域に住んでいた。
保健当局は後に、カプセルが分解され、タイレノールの粉末が青酸カリにすり替えられていたことを発見した。わずか数日のうちに、「タイレノール・エクストラ・ストレングス500ミリグラム」が全土で回収された。販売元のジョンソン・エンド・ジョンソンは少なくとも3100万本の瓶を回収。これは米国史上初の大規模なリコールだった。
事件の最も有力な容疑者はジェームズ・ウィリアム・ルイス氏だった。捜査官はルイス氏がジョンソン・エンド・ジョンソンに脅迫状を送り、タイレノール殺人を止めるために100万ドルを要求したと断定。しかし、捜査が拡大するにつれ、ルイス氏の関与の度合いははっきりしなくなっていった。ルイス氏は恐喝未遂で有罪となり、禁錮10年を言い渡された。
ルイス氏は刑期を全うし、釈放された。他の容疑者には港湾労働者のロジャー・アーノルド氏や「ユナボマー」ことセオドア・カジンスキー氏も含まれていたが、当局はアーノルド氏やカジンスキー氏を事件に結び付けることはできなかった。
今日に至るまで、タイレノール殺人事件の謎は続いている。一方で法執行機関とテキサス州の有力なバイオテクノロジー企業の連携など、最近の進展により、新しいDNA技術を利用することで事件を解決できるのではないかという期待が高まっている。
タイレノール殺人事件は未解決事件として恐怖を残しているものの、安全対策につながり、多くの命を救った可能性もある。現在、すべての市販薬には不正開封防止包装が施されている。タイレノールの厳重なパッケージは人々を守ってきた。それは未解決の殺人事件がもたらした結果なのだ。