ビンラディン容疑者巡り報告書、潜伏生活の全容明らかに
ビンラディン容疑者がパキスタンで逃亡生活に入ったのは、2001年9月11日に起きた米同時多発テロの1カ月後。アボタバードに落ち着く05年までの間は南部から北部へ、街から街へと移動を続けた。
妻の1人はこの間に4回出産し、そのたびに土地の病院にかかった。パキスタン人が話すウルドゥー語でなく、アラブ語を話すことが発覚すれば怪しまれるとの家族の判断で、医師の前ではろうあ者を装ったという。
北西部スワート渓谷に滞在した時期には、人相を変えるためにひげをそっていた。協力者らは、住民が「アラブ語を話す背の高い男」について尋ねることを許さなかった。
スワート渓谷で同容疑者を乗せた車が警察に止められたこともある。運転手は素早く対応し、車内をよく見られないうちに走り去った。