北朝鮮が見せたくなかった写真――西側唯一のジャーナリストが見た風景とは
警官や警備員、発電所、精製施設、線路など秘密主義の政権が慎重に扱った方がいいと考えるだろうと思ったものについて、私は何度も撮影していいか確認をした。「どうぞ、撮って」。笑顔が返ってくるのが常だった。地方を走っている最中に、運転手に対し、小さな村で停車するよう頼んだ。私のガイドは「問題ない。ただ、農家の人には礼儀正しく。彼らは大きなカメラを持った西洋人になれていないから」と言った。
羅先で自転車レースが終わるまで、選手たちの写真と同じように、観客や町自体についてもいい写真が撮影できるよう走り回った。
ガイドは私に付いてくるのに苦労していたが、一度たりとも、レンズを向けるなとか、ペースを落としてくれなどと言うことはなかった。
これは、完全に非公式だったが、レースの後で、私は羅先経済特区の黄哲男・副市長と言葉を交わした。驚いたことに、副市長は欧州で勉強したことがあり、流暢(りゅうちょう)なスウェーデン語を話した。
夜には地元の観光事務所から来た若い2人の女性とひざを交えて話をした。会話は標準中国語で通訳を介して行われ、内容は人間関係や日々の暮らしについてだった。彼女たちが言うには、北朝鮮での結婚は、一部には今でも政治がらみの家族的なつながりのために決められるものもあるが、現在ではほとんどが恋愛によるものだという。友人や地元の若者の大部分は、同地を訪れる中国人の数が増えるなかで、仕事やネットワーク作りのために中国語を学んでいる。
翌日、初めて当局とぶつかることになった。朝食の後、ひとりで散歩に出ようと決めたのだ。ガイドやほかの当局者が忙しいなか、私はホテルを歩いて出て、ひとりで駐車場へ向かった。制服を着た警備員に見つかってホテルに連れ戻されるまで、10メートルと歩けなかった。警備員はガイドに向かって、私が迷子になっていたと告げた。