タイムライン:北朝鮮の核問題
(CNN) 北朝鮮は自国について「名実ともに核保有国」と表現し、専門家は、2020年までに、北朝鮮が周辺国や米国さえ攻撃できる20から100の兵器を保有する可能性があると警告する。北朝鮮による核開発の歴史を振り返る。
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1985年12月12:北朝鮮が核不拡散条約(NPT)に加盟
北朝鮮は核兵器の不拡散に関する条約を批准した。しかし、北朝鮮は条約を順守せず、2003年にNPTから脱退した。
1993年:北朝鮮の核兵器開発に対する初期の警戒
国際原子力機関(IAEA)は北朝鮮を核不拡散条約(NPT)違反だとして非難。北朝鮮はNPTからの脱退を示唆したが、最終的には査察の受け入れに合意した。
1994年10月21日:米国と北朝鮮が合意文書に署名
北朝鮮は、原発を2基建造するための国際援助と引き替えに、核兵器開発プログラムの凍結と最終的な放棄を約束した。
1998年11月17日:米朝協議
米国と北朝鮮は平壌で高官級協議を行った。米国は核兵器の開発に使用されていると考えられた地下施設への査察を要求した。
1999年2月27日~3月16日:核査察の実施
第4次米朝協議で、北朝鮮は米国に対し、ジャガイモ増産の支援と引き合えに、施設への立ち入りを許可した。米国の調査団は5月に施設を訪問したが、核開発の証拠は見つからなかった。
1999年9月13日~9月17日:実験中止と経済制裁緩和
北朝鮮は、米国との交渉が継続するなか、長距離ミサイルの実験凍結に合意した。ビル・クリントン米大統領は北朝鮮に対する経済制裁の緩和に合意した。
2001年6月:北朝鮮がミサイル実験の再開を示唆
北朝鮮は、もし米国が北朝鮮との関係正常化を求めないのであれば、ミサイル実験を再開すると警告した。
2002年1月29日:悪の枢軸国
ジョージ・W・ブッシュ米大統領は一般教書演説で、北朝鮮とイラン、イラクを「悪の枢軸国」と呼んだ。ブッシュ大統領は「大量破壊兵器を追求することにより、こうした政権は深刻で増大する危険をもたらす」と述べた。
2002年10月16日:秘密の核兵器プログラム
ブッシュ米政権は初めて、北朝鮮が1994年の合意に違反して秘密の核兵器プログラムを実施していたことを認めたと明らかにした。北朝鮮が何らかの核兵器を完成させたのかどうかについては分からなかった。
2002年12月22日~12月31日:査察官追放
北朝鮮は、核施設から国際原子力機関(IAEA)の監視機器を排除し、IAEAの査察官を追放した。
2003年1月10日~2月26日:NPTから脱退
北朝鮮は正式に核不拡散条約(NPT)から脱退し、核施設を再稼働させた。