イスラエルのペレス前大統領、脳卒中で重体 オスロ合意に尽力
1980年代から90年代にかけてイツハク・ラビン氏と労働党党首の座を争ったが、その後ラビン政権の外相としてパレスチナ和平交渉を推進。パレスチナ暫定自治協定(オスロ合意)を成立させた業績を認められ、ラビン氏、パレスチナ自治政府議長だったヤセル・アラファト氏とともに94年のノーベル平和賞を受賞した。
大統領在任中の12年にはオバマ米大統領から、文民に贈られる米勲章として最高位の大統領自由勲章を授与された。
退任後も中東和平の実現に向け、公の場で発言を続けてきた。
今年1月には軽度の心臓発作で緊急手術を受けた。すぐに退院する強気ぶりを見せたものの、10日後に不整脈で再び病院へ運ばれる騒ぎがあった。