このような姿は予想していなかったというフレッドさんは、息をのむ司会者を前に、さらに描写を続けた。
「息子の頭髪はそられていた。両目はぐるぐる回っていて、皿のように大きく見開かれていた」「目は見えず、耳は聞こえず、栄養補給の管をつけられていた」
家族は1年5カ月前から消息を絶ったオットーさんを探し、必死になって接触を試み続けてきた。しかしその努力は実らなかった。
「息子は完全な植物状態だった」「オットーに安らぎはなかった」(フレッドさん)
帰国から2日後、オットーさんは高熱を出し、その4日後に死亡した。
オットーさんの身体には、原因不明の負傷が数多く見つかった。下の歯は並び替えられたような痕があり、右足には大きな傷痕が残り、両手両脚は「完全に変形した」状態だったという。
「私たちの所へ帰ってきたとき、息子は死の床にあった」とフレッドさんは言う。シンディさんは、「だから息子は解放された」「自分たちの国で息子が死ぬことを彼らが望まなかったから」と話す。