イスラエル、シリアの原子炉空爆を初めて肯定
シリアは当時、原子炉建設を決して認めず、ミサイル関連施設であることを主張。ただ、米政府が08年初期に公表した原子炉施設内で撮影したとする画像は建設中の原子炉の中軸部分がとらえられていた。米政府はこの原子炉はガス冷却式の黒鉛炉で、同型炉の建設では過去数十年間で唯一の経験を持つ北朝鮮の支援があったとも主張していた。
空爆があった07年9月の時点で、この原子炉の開発状況がどのような段階にあったのかは今なお知られていない。ただ、国際原子力機関(IAEA)査察員は現場でウランの痕跡を探知。当時のヘイデン米中央情報局(CIA)長官は発電能力の可能性はなかったが、平和目的の用途でもなかったと指摘していた。
イスラエルはこれまで原子炉空爆については沈黙を守ってきた。口を閉ざすことはシリアとの関係の緊迫化を回避させるとの計算が働いていたとされる。
イスラエルが中東で核関連施設の攻撃に踏み切った事例はこの他にもある。1981年6月にイラクのオシラク核関連施設に空爆を加え、同国の核開発計画を麻痺(まひ)させていた。この攻撃は、脅威と認識する大量破壊兵器開発には先制攻撃を仕掛ける「ベギン・ドクトリン」と呼ばれるイスラエルの基本政策を定着化させるきっかけともなった。