若き活動家狙うロシアの治安機関、脅して情報提供者に
戦争が変えた使命感
別の若い活動家もCNNの取材に答え、強制的な採用とその後のFSBからの要求について、似通った内容を明らかにした。
フセボロト・オシポフさんは非主流派の政党、ロシア・リバタリアン党のメンバーだった時にFSBからの接触を受けた。あまりに小さく、力もない政党だったので、まさか治安機関の注意を引くことなどないと思ったという。
しかし21年5月、ナバリヌイ氏逮捕に対する初期の抗議行動に関与したとして拘束された後、当時まだ19歳のオシポフさんはスパイ活動を行うことに同意した。対象はプーチン大統領の政権に反対する個人や団体で、その見返りとして刑務所への収監を免れた。
「色々な任務があった」「特定の人々に会い、顔見知りにならなくてはならなかった。例えばロシア・リバタリアン党の党首や、非営利団体フリー・ロシア・ファウンデーションのジョージア支部の責任者などだ」
やはり大きな関心を引いたのは外部からの関与であり、何らかの形で西側諜報(ちょうほう)機関が絡んでいる可能性だった。
「他にもより複雑な任務があった。西側と何らかの協力関係がないか、特定の団体の裏で何が起きているかを突き止めたりした。反体制派が米国をはじめとする外国の特殊機関のために動いているのかどうかも探った」
オシポフさんもジョージアに送られ、ロシア人コミュニティーの見解を監視するよう告げられた。とりわけウクライナでの戦争に関する見方と、他国や非政府組織がウクライナ難民をどのように支援しているかが対象だった。
「FSBは西側治安機関との協力の有無や、海外から資金を受け取っている人物がいないかどうかにも関心を払っていた」
常に危惧していたのは、どのような危険がクレムリンやプーチン大統領に及び得るかということだったと、オシポフさんは振り返る。
「ロシアの治安機関は、我々の国の歴史をよく理解している」「巨大な移民のコミュニティーが国外に出現すると、そこで人々はお互い自由に発言し、計画をともに実行し、ウクライナ難民を助ける。要するにロシアのミニチュア版が国外に作られるわけで、そこにFSBの支配は及ばない。彼らは歴史が繰り返すのではないかと恐れている。1917年、レーニンがモスクワにやってきて革命を開始した時のように」。オシポフさんはそう付け加えた。
アムステルダムのソコロフさんは、ロシアによるウクライナ侵攻の衝撃が自分の抱いていた恐怖を圧倒したと説明。自身にどんな影響が及ぶかも度外視し、FSBに背を向けざるを得なかったと振り返った。
「ロシアの現状が憎い。ロシアとつながる何もかもが憎い。我々の兄弟国、私の兄弟国に戦争を仕掛けたという事実に虫唾(むしず)が走る」(ソコロフさん)