東南アジアで今も続く爆弾の恐怖、死傷者後を絶たず キッシンジャー氏が残した遺産
香港(CNN) ヘンリー・キッシンジャー氏が米国の外交政策を東南アジアに持ち込んでから50年。同地は今も、11月29日に死去した元米国務長官が推し進めた爆撃や軍事作戦の後遺症と共に生き続けている。
カンボジアでは、ベトナム戦争時代のじゅうたん爆撃による不発弾が今も残り、来る年も来る年も大人や子どもを殺し、重い障害を負わせている。それを演出したのがキッシンジャー氏とリチャード・ニクソン大統領(当時)だった。
同国で大量虐殺を引き起こしたクメール・ルージュは、米国の情け容赦ない攻撃が続いた後の絶望に乗じ、戦闘員を増やしたと専門家は言う。
「(米国以前に)カンボジアの田舎町が爆撃されたことはなかった。だが(それから)何の予告もなく、いきなり何かが空から降って来て、村全体を爆撃した」。当時の歴史を記録しているカンボジアの団体のユーク・チャン代表は言う。
「自分の村が爆撃されてアメリカ人が爆弾を落としたと言われ、兄弟姉妹も両親も失ったとき、どんな選択がある? 犠牲者になって死ぬか、反撃するかだ」。そう語るチャン氏自身も、虐殺を生き延びた一人だった。
キッシンジャー氏は、米国のベトナム戦争介入を終わらせた停戦を仲介した功績で、1973年にノーベル平和賞を受賞した。その前年、米軍はベトナム北部で激しい空爆を行っていた。
近年になって機密解除された記録によれば、キッシンジャー氏とニクソン氏はカンボジア全土で秘密裏に爆撃を強化し、北ベトナムの補給路を断って各国の共産主義運動を鎮圧しようとラオスでの秘密戦争を拡大した。
この間に、カンボジアと中立を保っていたラオスで死亡した人の数は分からない。しかし専門家によれば、カンボジアだけでも15万人を大幅に超える可能性がある。
75年、10万人以上の死者を出したインドネシアの東ティモール侵攻を米国が容認した判断にも、ニクソン氏の後継のジェラルド・フォード大統領とキッシンジャー氏がかかわっていた。
「キッシンジャー氏とニクソン氏は、自分たちが望んだ結果を出すという観点で世界を見ていた。弱い立場や弱小な立場にいる相手のことは気にかけなかった。だから、そうした人たちが意図せず持ち駒にされたり、文字通り大砲の餌食にされたりしても、どうでもよかった」。シンガポール国立大学のチョン・ジャ・イアン准教授はそう指摘する。