ペルーのフジモリ元大統領死去、86歳
当時の妻だったスサーナ・ヒグチ氏は90年代初頭、日本に寄贈された衣類をフジモリ氏の家族が不法に売りさばいたとしてフジモリ氏を非難。離婚後にフジモリ氏は長女のケイコ氏をファーストレディーに据えた。
2000年には、前例のない3期目の再選を目指し、合憲性を問う声もある中で再び大統領選に立候補して勝利。対立候補は選挙に不正があったと主張した。
しかし同年、フジモリ政権を揺るがす事件が発生。長年の側近だったブラディミロ・モンテシノス国家情報部顧問が野党議員を買収する映像がリークされた。フジモリ氏は不正には関与していないと主張したが、国民は納得しなかった。
同年11月、日本を訪問したフジモリ氏は、ファクスで辞表を送って大統領を辞任しようとした。ペルー政治は大混乱に陥り、数日後にペルー国会が「道徳的に不適格」と判断してフジモリ大統領を解任した。
フジモリ氏は、いずれペルーの政界に戻ると主張して日本滞在を続けていたが、復帰準備のため00年代半ばにチリへ渡航したところで逮捕され、ペルーへ移送。人権侵害などの罪に問われ、4件の刑事裁判で有罪を言い渡された。晩年は健康状態が悪化して釈放と再収監を繰り返していた。
09年には殺人部隊による民間人殺害の作戦を承認したとして、最高裁特別法廷で25年の禁錮を言い渡された。
17年12月には当時の大統領が、「進行性の不治の病」を理由に恩赦を認めた。フジモリ氏は同年、病院のベッドで撮影した動画をSNSに投稿し、「私の在任中の実績は一方で好意的に受け止められ、他方では国民を失望させたことも認識している。心の底から許しを請う」と謝罪していた。
フジモリ氏は何度有罪判決を言い渡されても、自分の行動は全て国家のためだったと訴え続けた。その姿勢は最後まで変わらなかった。