子ども137人とラマ200頭、心臓抜かれ生贄に ペルー古代文明の遺跡で発掘
研究チームによると、子どももラマも、「経験豊富な人物」によって胸骨が切り開かれ、心臓が取り出されていたと思われる。
成人は男性1人と女性2人で、うち1人は18歳の女性、残る2人は20~30歳だった。1人は頭を殴られて死に、もう1人は顔面に殴られたような外傷の痕跡があった。残る1人は肋骨数本が折れていた。
埋葬場所が子どもたちに近いことから、この3人も生贄の儀式に関係していたと思われる。
ラマはいずれも1歳半未満で、ほとんどは生後9カ月に満たず、子どもたちの年齢に合わせていたとみられる。ラマの体はベージュや茶色に塗られていた。
北側で見つかった1頭のラマは、陶器や木製の櫂(かい)と一緒に埋葬されていた。いずれもチムー文明の葬儀に関連するものだった。
埋葬地の下には厚い泥の層があり、同地が大規模な暴風雨や洪水に見舞われていたことをうかがわせる。こうした災害が引き金となって、生贄の儀式が行われた可能性もある。
泥の中には、生贄になるためにこの場所に連れて来られた子どもやラマの足跡も残っていた。
放射性炭素による年代測定を行った結果、生贄の儀式が行われたのは1450年だったことが判明した。米大陸で発見された子どもとラマの集団生贄の規模としては、過去最大だった。
研究チームは今後も発掘された生贄について詳しく調べる計画。エルニーニョ現象による豪雨や洪水がチムー文明の経済や政治的安定を脅かし、生贄の儀式につながったのではないかとみている。