1918年の米国、マスク非着用は違法の地域も 何が変わったのか?
(CNN) 新型コロナウイルスの感染がアジアで拡大したとき、アジアの人々はいち早くマスクを付け始めた。台湾やフィリピンのような一部の地域では、特定の場面でマスク着用を義務づける措置に踏み込んでいる。
一方、欧米ではマスク導入の動きははるかに鈍い。たとえば英イングランドのクリス・ウィッティー主任医務官は、マスク着用は不要とまで主張した。
だが、マスク着用が常にアジアの専売特許だったわけではない。
1918年1月から20年12月まで続いたインフルエンザのパンデミック(世界的な大流行)の間、マスク着用は決してアジア特有の現象ではなかった。当時の流行では世界人口の3分の1に当たる約5億人が感染、約5000万人が死亡した。米国でも約50万人が亡くなっている。
当時と今のパンデミックの間には共通点が多い。
1918年10月24日、米サンフランシスコでマスク着用を義務付ける法令が出された/San Francisco Chronicle
18年のウイルスの発生源については依然諸説あるものの、当時に疾患には「スペイン風邪」という特定の国を表す名称が付けられた。第1次世界大戦を戦う兵士が世界中に病気を持ち込んだ結果、感染は各地に拡大。当時もやはり、倉庫が隔離病院に転用され、遠洋定期船が感染者を出したことが話題となった。
ただひとつ明らかに異なるのは、当時は米国が世界に先駆けてマスク着用を進めた点だ。
18年10月、カリフォルニア州サンフランシスコで感染拡大の第2波が起こり、病院から患者数増加の報告が入るようになった。
4000を超える症例が確認されたことに伴い、サンフランシスコ市の立法府は10月24日、大胆な措置が必要と判断。マスク着用を義務づける法令を全会一致で可決した。
米国でマスク着用が義務化されたのは初めてだった。
マスクの導入
サンフランシスコが公共の場でのマスク着用を義務化したことを受け、啓発キャンペーンが始まった。
同市市長や保健当局の後押しを受けた赤十字は、「マスクを付けて命を守ろう! マスクの対インフルエンザ予防効果は99%」と呼び掛ける大々的なキャンペーンを展開。マスク着用に関する歌も作られた。
当時も倉庫が隔離病院として使われた/Universal History Archive/Getty Images
屋外でマスクを付けずにいるところが見つかった場合、罰金や禁錮刑に処される可能性もあった。
このキャンペーンは功を奏し、サンタクルスやロサンゼルスを含む他のカリフォルニア州の都市も追随した。やがて全米に同様の動きが広がっていった。
欧州や北米の各地でマスク着用が進むなか、喫緊の課題として浮上したのが供給の問題だ。
マスク製造を専門とするメーカーはシカゴの企業などわずかで、需要の急増に対応できなかった。
そこで解決策となったのが自家製マスクの製造だ。米国各地の教会や地域組織、赤十字の支部が協力してありったけのガーゼを入手し、マスクの手作り講座も開いた。
第一次大戦中、インフルエンザ予防にマスクを着ける警察官/Topical Press Agency/Hulton Archive/Getty Images
新聞や各地の州政府は18年10月、マスクと当時の欧州戦線の戦況を関連付ける情報を発信。ワシントン・タイムズ紙の9月26日付の記事は、「塹壕(ざんごう)ではガスマスク、国内ではインフルエンザマスク」を約束し、米兵の元に「スペイン風邪」から身を守るためのマスク4万5000枚が届けられる見通しだと報じた。
11月11日に第1次大戦が終結すると、政府との契約が残っていたガスマスクの製造企業は、インフルエンザ用マスクの生産に切り替えた。
マスク着用を徹底
マスク着用を定めた法令はおおむね市民の支持を集め、警察が中心となって同意に基づき施行された。
アリゾナ州トゥーソンは1918年11月14日、マスク着用を定めた条例を導入。ただし聖職者や歌手、劇場の俳優、教師については、聴衆と十分な距離が確保できるとの理由から例外が認められた。
インフルエンザが流行する1918年、マスクを着けて整列するシアトルの警察官/Time Life Pictures/National Archives/Getty Images Archive/Getty Images
再び西海岸に目を向けると、そこではやはりサンフランシスコが他市に先駆けてマスク着用を推進していた。サンフランシスコの地元紙は1918年10月25日、有力な判事や政治家がそろってマスクを付けた写真を1面に掲載した。
当然、中には規則に違反する者もいた。カリフォルニア州で行われたボクシングの試合の写真には、観客の半数がマスクを付けていない様子が捉えられている。警察は写真を拡大して違反者の特定につなげた。
違反者は全員、海外で戦う兵士のための基金に「自主的に寄付」するよう求められ、応じない場合は訴追すると警告された。
マスク着用に効果はあったのか?
18年のパンデミックの際、マスク着用に関する科学研究の大半はまだ逸話の域を出なかった。そんな中で人々の注意を引いたのは、ある客船をめぐる記事だ。
英タイムズ紙は18年12月初旬、インフルエンザについて、「接触を通じて感染するため予防可能」であることが米国の医師らによって証明されたと伝えた。
折しも、米国と英イングランドを結ぶ定期船では、ニューヨークを出発した後に爆発的に感染が拡大。船長は米国に戻るに当たり、サンフランシスコでのマスク着用の動きを伝えた記事を参考に、乗客乗員にマスク着用を指示した。
サンフランシスコ・クロニクル紙が掲載したマスク着用に関する1918年10月25日付の記事/San Francisco Chronicle
当時、ニューヨークのマンハッタンと出港地となった英サウサンプトンでは感染が広がっていたものの、帰りの船では1人も感染者が出なかった。マスク着用を定めた規則が奏功したのかどうかは知る由もなかったが、メディアはそう解釈した。
この時のマスク着用勧告には前例があった。
満州で1910年から11年にかけて腺ペストが流行した際、中国やロシア、モンゴル、日本の研究者は一丸となって感染拡大に対処。この中でマスク着用が有効とみなされるようになっていた。
2017年にスペイン風邪に関する著書を出版した科学ジャーナリスト、ローラ・スピニー氏によると、1911年の満州での経験を受けて、日本では18年にいち早く公共の場でマスクを付ける動きが始まった。
日本当局はマスクについて、他人を病原体から守るためのエチケットだと主張。国内で以前に起きた局地的な感染拡大でも効果があったと指摘した。
実際、マスク着用は感染ペースに歯止めをかける効果をもたらしたようだ。
12月下旬、米国の大半の地域で新規感染者が一桁に減少したことを受け、市や州はマスク着用令を解除する自信を深めた。
シカゴの新聞は12月10日、「ちっぽけなガーゼのまん延は今日で最後」と宣言している。
ニューヨークの路上でマスクを着けて清掃を行う作業員/Bettmann Archive/Getty Images
1世紀後
1918年の米国はマスク着用を徹底的に進めた。
しかし1世紀が経過した今、マスクの感染拡大抑止効果に関する米国の教訓を記憶にとどめているのは、むしろアジアの国々だ。
その理由は恐らく、アジアはコレラや腸チフスなどの感染症の流行に対処してきたためだろう。2003年には重症急性呼吸器症候群(SARS)、近年は鳥インフルエンザの流行も発生した。
こうした流行が一因となってマスク文化が維持されてきたのである。
欧米の場合、これ程の頻度での流行は経験していない。
このため、予防措置としてマスクを付けるという考え方は数世代にわたり、人々の意識から抜け落ちていたものと思われる。そんな状況も新型コロナウイルスによって変わっていくのかもしれない。