24年に解明された歴史上の謎、カスパー・ハウザーの「消えた大公子」説は否定
高名な天文学者の頭(と実験所)の内側
デンマークの天文学者ティコ・ブラーエは16世紀、複数の天文学上の発見に関与したとされる。しかし、ブラーエは同時に、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世など高位の顧客のために秘密の薬を調合する作業に没頭した錬金術師でもあった。
ルネサンスの錬金術師は自分たちの作業をひた隠しにしており、現代まで残っている錬金術の調合法はほとんどない。「ウラニボリ」と呼ばれる居城兼天文台の地下に設置されたブラーエの錬金術工房は死後破壊されたものの、研究者はこの場所から回収されたガラスや陶器の破片を化学的に分析した。
分析の結果、ニッケルや銅、亜鉛、スズ、水銀、金、鉛などの元素が検出された。大きな驚きとなったのは、当時の記述で触れられていないタングステンだ。ブラーエ自身気付かないうちに鉱物からタングステンを分離した可能性もあるが、この発見はブラーエの秘められた作業について新たな疑問を投げかけている。
また、ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーが1607年に太陽表面の観察をもとに黒点をスケッチしてから数世紀後、この先駆的な素描を手がかりに、科学者たちは太陽周期の歴史をつなぎ合わせた。
太陽活動の周期は通常約11年だが、太陽が想定とは異なる挙動を示した時期もある。望遠鏡発明以前の長く忘れられていたケプラーの素描が今年、改めて見直され、科学者は1645年~1715年の太陽活動が極めて弱かった異常な「マウンダー極小期」について知見を深めるべく分析を行った。
ケプラーの素描は、計器の壁の穴を使って太陽のイメージを紙上に投影する装置「カメラ・オブスキュラ」で作成された。スケッチには黒点が捉えられており、天文学者はこれを手がかりに、ケプラーの観察時には太陽周期はまだ想定通りに起きており、従来考えられていたように異常に長期間続いたわけではないことを突き止めた。