キエフ(CNN) ウクライナに住む我々は、不安な思いで新聞の見出しを読みながらこの数カ月を過ごしている。それらは戦争の脅威が我が国に迫っていることを明確に伝える。10万人ものロシア軍が国境に集結している状況を考えれば、驚く話でもないだろう。
ただウクライナでは、すでに8年近くも戦争状態が続いている。2014年、ロシアがクリミア半島を併合し、同国の後ろ盾を受けた分離派がウクライナ東部の都市ドネツクとルガンスクを支配下に置いた。紛争は現在も続いており、国連の19年の推計によるとこれまで1万3000人余りの命が失われている。我々が現在直面しているのはすでに熱湯がぐらぐらと煮立った状態に他ならず、ここからすぐにも吹きこぼれて全土を巻き込む戦争へと発展しかねないことは、今やすべてのウクライナ人が理解するところだ。
最後にドネツクを訪れた時のことは、はっきりと覚えている。あれは14年5月、欧州安全保障協力機構(OSCE)特別監視団の一員としての訪問だった。市内では時折銃撃戦が発生し、我々は安全手順に従ってホテルからの外出を禁じられた。街を去る時には、真新しい装甲車両で空港に移動した。かつては立派だったドネツク空港も、その時はがらんとした、薄暗い施設になっていた。中にいるのは数名の乗客と、どこのものかわからない制服に身を包んだ男たちのみ。1台の戦車が花壇に陣取り、砲口を離陸する飛行機に向けていた。
首都キエフへは何事もなく到着したものの、それから2~3日後、ドネツク空港はロシアの支援する分離派とウクライナ軍とによる激しい戦闘の舞台となった。
14年当時、ウクライナ東端に位置するドンバス地方で起きることは、あくまでも地域限定だったことは明白だった。ウクライナ軍は局地戦を戦っていたので、ほとんどの市民(戦場の近くで暮らす人々を除いて)は、その影響を肌で感じることがなかった。オデッサの海辺やキエフのレストラン、カルパチア山脈のスキーリゾートは普段通りのにぎわいを見せていた。それでも筆者を含む多くの人々にとって、ドンバス地方の状況が深い傷口に絆創膏(ばんそうこう)1枚を当てるようなものだったのは明らかだった。傷自体は見えなくなるかもしれないが、そのまま適切に処置されなければ命取りになる恐れがある。
22年現在、突如(とつじょ)としてウクライナの誰もが理解したのは、戦争がドンバス地方を越えて発生し得るということだ。それは他のあらゆる地域へ波及し、日常生活に混乱をもたらしかねない。ロシアの劇作家アントン・チェーホフによると、第1幕で壁にライフル銃をかけておくなら、それは第2幕か第3幕で必ず発砲されなくてはならない。しかもここで我々が問題にしているのはライフル銃1丁どころの話ではなく、10万ものロシア軍がウクライナの東の国境に迫っているという事態なのだ。
この軍備増強は数カ月前なら単なる雑談のネタに過ぎなかったが、それ以降は大音量の警報ベルとなってウクライナの社会全体に鳴り響いている。皮肉にも、警鐘を鳴らしたのは外国の外交官や政治家、メディアであって、ウクライナの政治エリートたちはなかなか脅威に気づかなかった。筆者の周辺にいるジャーナリスト、市民活動家、学者のほか、何人かの野党政治家らは、次の極めて重大な問いに対する答えを必死になって求めていた。ロシアが攻めてきた場合、我々は民間人としてどうすればよいのか?
最近になってようやくウクライナの大統領が答えを示したが、それはあまり役に立つものではなかった。
今月19日、元俳優のゼレンスキー大統領が動画の中で演説を行い、ウクライナ国民に対しパニックに陥らないよう求めた。政界入りする前にテレビ番組で大統領の役を演じたこともある同氏は、22年の今後の見通しを詳細に語った。4月にはイースター(復活祭)を祝い、メーデーにバーベキューを焼き、バカンスの計画を立てよう、などといった内容だ。ところがその数日後、米紙ワシントン・ポストとのインタビューではバーベキューの願望など完全に消し飛んでしまったようだ。その中でゼレンスキー氏は、ロシア軍がウクライナ東部の都市ハルキウを占領する可能性があることを認めた。言うまでもなく、この発言はハルキウの住民の間にパニックを引き起こし、市長は声明を発してロシアが侵攻した場合にも市を防衛すると約束せざるを得なかった。
潜在的な攻撃対象はハルキウのみにとどまらない。最近ではロシア軍とベラルーシ軍によるベラルーシでの共同演習のニュースが報じられ、ウクライナ北部、とりわけキエフとチェルニヒウで不安が高まった。南部でも、黒海沿岸の住民は眠れぬ夜を過ごしている。これらの地域はロシアの支配下にある分離国家、トランスニストリア(沿ドニエストル)からの攻撃目標となる恐れがあるからだ。仮に南東部のドンバス地方からの攻撃も同時に行った場合、ロシア軍はウクライナの沿岸地帯を支配して、ウクライナを内陸国にしてしまうかもしれない。
トップダウン型の情報伝達が十分行われない状況で、多くの市民は常識に基づいた生き残りのルールに従う選択をしている。具体的には食料品を備蓄したり、通信が途絶えた時に愛する人と落ち合う場所を決めておくといったことだ。
地方自治体は緊急事態における自分たちの能力を検証中で、警告システムのテストを行っている。先月、キエフ市と国家緊急対策当局は市内にある防空施設の状況を確認。市の公式サイトにあるこれらの施設のマップを更新した。
空爆が行われる際、大規模な防空シェルターとなる重要施設が、キエフ市内の地下鉄の地下構造物だ。しかしそこに「収容」できる人数は20万人に限られている。300万人以上の人口を抱えるキエフにとって十分とは言えない。
運悪く地下鉄までたどり着けなかった人たちは、地下駐車場やマンションの地下室、その他公共・民間施設の地下部分などに避難しなくてはならないだろう。14~15年に防空シェルターとして指定された一部の地下施設は、その後民間向けに再利用され、緊急時にはシェルターの機能を果たす。ただ筆者の友人のビルにある地下施設は当初シェルター用に作られたもののその後賃貸に出され、現在はカフェが入っているという。筆者の近所にあった別のシェルターは、建設計画が進む中で完全に破壊された。
人々は、確実なことが分からず、はっきりとした緊急時の指示も存在しないことで、自分たちの理性や情緒が枯渇しつつあるのを認めている。目下の課題に注力するのも長期的計画を立てるのも難しいのが実情だが、それらを拒否することはさらに有害な結果をもたらすだろう。
こうした状況で思い起こすのは、ソビエト時代の著名な作曲家、ドミトリー・ショスタコービチを描いたジュリアン・バーンズの伝記小説「The Noise of Time」に出てくるエピソードだ。旧ソ連の国家保安委員会(KGB)が知識人を弾圧する中、作中のショスタコービチは自身が逮捕されるだろうという強い確信を抱いた。そこで毎晩(KGBによる逮捕はたいてい真夜中、相手が油断しているところを狙って行われた)、小型のスーツケースに荷物をまとめ、エレベーターの前に何時間も立ってKGBが来るのを待つ。椅子を用意して、よりくつろいで待つことまで思いつく。エレベーターの音を聞くたびに彼の心臓は跳ね上がったが、他の階に止まったのが分かると我に返り、スーツケースを持って自分の部屋に帰る。次の晩が来るまで。
ウクライナ国民は現状、こぞってショスタコービチのように行動している。彼らは用心深くならざるを得ないのだ。たとえそのために疲れ果ててしまっても、警戒感を解くわけにはいかない。一方ではロシアのプーチン大統領自身が、KGBと同様の行動に出ている。
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オレシア・マルコビッチ氏はキエフ・モヒーラ・アカデミー国立大学の博士研究員。国際金融公社の元コミュニケーション・コンサルタントで、外交問題担当の記者としても活動する。記事の内容は同氏個人の見解です。