日本代表、井上監督が語る柔道哲学 「投げられても立ち上がる、人生のよう」
柔道以外の世界で大きな悲しみも味わった。1999年、21歳の時に母を亡くし、翌年のシドニー五輪では遺影とともに金メダルの表彰台に立った。井上さんは当時、「勝利を母にささげたかった」「世界一の母親を、観客のみなさんにも見せたかった」と語っていた。
井上さんの金メダル獲得は一家全員の夢だった。それがかなって、生活はがらりと変わった。
シドニーで全ての対戦相手に一本勝ちした井上さんは、世界の期待を一身に背負ってさらに2回の世界選手権を制し、全日本選手権でも三連覇を果たした。
しかし04年のアテネ五輪では準々決勝で敗退。井上さんは試合後、「この屈辱、悔しさはいまだかつて味わったことがありません」と語った。
08年北京五輪の代表入りを果たせずに引退したが、それまでに05年の嘉納杯、07年のフランス国際大会で優勝を収めた。
引退後は指導者を目指して英国へ留学。海外のコーチたちのやり方を見て多くの技術を習得した。日本発祥の柔道が今や「JUDO」と表記されていることからも、国際的なスポーツになっていることがうかがえる、と指摘する。