アフガンで失明したパラ金メダリスト、問い続ける「対テロ戦争」の意味
「その犠牲、その戦いは今も生きている。私がいなくなった後もずっと、私たちはその戦いを続けるだろう」
スナイダーさんは子どものころから米軍入隊を志し、高校生だった01年9月に同時多発テロが発生。米国の国土で二度とこんなことが起きてはならないと確信した。
しかし11年9月7日、アフガニスタン南部カンダハル近郊の地雷原で重さ40ポンド(約18キロ)の爆弾を踏み、海軍のキャリアは終わった。
視力を失えば多くの人が悲嘆に暮れるかもしれないが、自身はただ命が助かったことに感謝したとスナイダーさんは言う。「私は爆弾技術者だったので、40ポンド爆弾がどんなものかは知っている。そう考えたことで、視力のない新しい生活に慣れる最初のステップを切り抜けることができた」
苦しい時も「感謝の気持ち」を持ち続けようと努めた。「一瞬だけでも見えれば皿洗いができるのにとか、コンピューターで調べものができるのに、と考えることもある。けれど一日中考え続けてもどこへもたどり着けない」
「現実は変えられない。変えられるのは、自分がそれにどう反応するか、置かれた状況に対して自分がどう行動するかだけ」
失明した翌年の12年、スナイダーさんはロンドン大会の水泳でパラリンピックにデビュー。100メートル自由形と400メートル自由形で金、50メートル自由形で銀を獲得した(いずれも視覚障害S11)。16年のリオデジャネイロ大会では2つの金の防衛に加えて50メートル自由形でも金、100メートル背泳ぎで銀を獲得した。
軍のキャリアを絶たれて「打ち砕かれた」というスナイダーさんだが、パラリンピック出場は「自分自身を再建する」助けになったと語り、「私がパラリンピックムーブメントを気に入っている理由のひとつはそこにある。戦場を離れた私にとって、パラリンピックムーブメントは自分自身を再認識する道を与えてくれた」と振り返った。