石油発見前のカタール、質素な暮らしを廃村に見る
有機的なコミュニティーの設計
当時、沿岸部の町の住民の大半は冬のあいだ砂漠に移動し、アラビア半島各地のオアシスにキャンプを設置して動物とともに暮らしていた。そして夏には西部や北部、東部沿岸にある海辺の自宅に戻った。
アルジュマイルはカタール北西部沿岸にある
こうした町や村のレイアウトや構成原理は、環境やイスラム教の伝統に基づいているところが大きい。そこではモスク(イスラム教礼拝所)が中心的な役割を果たしていた。
アルジュマイルでの主な生活空間は中庭付きの家で、内側に向かっていた。中庭やプライベートな家族の空間を外から見られないよう、各家には比較的高い壁が設けられ、入り口はずらして配置されていた。
ホーカー氏は「人々は拡大家族で集まって暮らしていた」「隣人の中庭をのぞき込めるような建設の仕方は許されなかった。このため、欧米の建築家が好む格子状のシステムに比べ、コミュニティー全体がより有機的な配置になっている」と話す。
ホーカー氏によると、人々は拡大家族で集まって暮らしていた。隣人の中庭をのぞき込めるような建設の仕方は許されなかった/Dimitris Sideridis
こうした北西部沿岸の集落の建設には複数の段階が見られ、石油開発の時代の前の技術を使ったものもあれば、後のものもあった。古い建築手法では、ビーチロックと呼ばれるサンゴを含む海辺の岩を石灰ベースの漆喰(しっくい)と組み合わせて使っていた。
「これら(の村)は、石油・天然ガス産業を中心に生活が完全に変わり始める前の、古い建築方法の最後の名残をとどめており、イスラム法やイスラム法が考える社会の物理的な配置を体現している」(ホーカー氏)