石油発見前のカタール、質素な暮らしを廃村に見る

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ドーハ(CNN) アーチ形の小さなドアを通り抜け、狭いらせん階段を登ると、吹きさらしの尖塔(せんとう)の頂上にたどり着く。周囲のほぼあらゆる物が崩壊した中でも、この尖塔は高くそびえ立っている。

円形の塔のてっぺんにある小部屋の中では、廃墟と化した周囲に向かって4つの小窓が開いていた。一方に目をやると、崩れかけた古い漁師の家(その大半は屋根もドアも窓もない)がターコイズブルーの海岸線に沿って立ち並び、もう一方にはカタールの砂漠が広がっている。

ここアルジュマイルは、カタール北西部沿岸に点在する打ち捨てられた村の1つだ。こうしたほぼ無名の「ゴーストタウン」の跡は、過ぎ去った時代の生活を魅力的な形で垣間見させてくれる。石油や天然ガスを原動力とするカタールの目覚ましい経済発展を機に、人々が伝統的な小村を離れ、拡大する首都ドーハに流入する前のことだ。

カタール博物館によると、アルジュマイルの歴史は19世紀後半にさかのぼる/Dimitris Sideridis
カタール博物館によると、アルジュマイルの歴史は19世紀後半にさかのぼる/Dimitris Sideridis

カタール博物館によると、村の起源について多くは知られていないものの、アルジュマイルの歴史は19世紀後半にさかのぼる。民家などの残骸が広範囲に広がっていることは、この村の重要性を示している。

漁業と真珠採り

住民の生活は海と結びついていた/Dimitris Sideridis
住民の生活は海と結びついていた/Dimitris Sideridis

近隣の他の廃村と同様、アルジュマイルでも住民の経済活動の多くは海と結び付いていた。

「ここは漁村だ。そのため、民家は満潮線のすぐ上に建てられている」。湾岸地域の建築に関する専門家、ロナルド・ウィリアム・ホーカー氏はCNNにそう説明する。

「村の前の潮間帯には、潮が引く時に魚を捕まえられるよう、わなが多数しかけられている。周囲の水は浅かったため、住民は浅瀬で使え、さまざまな礁や岩、強い流れの中でも移動できる小型の船を使っていた可能性が高い」(同氏)

湾岸地域の住民の大半は、季節ごとに主要な生計手段を持ち、夏の4か月には真珠採りの潜水を行っていた。1930年代に石油が発見される前、真珠採りはカタールの主な収入源の1つだった。

写真はアルアリーシュ。民家は満潮線のすぐ上に建てられているとホーカー氏は説明/Dimitris Sideridis
写真はアルアリーシュ。民家は満潮線のすぐ上に建てられているとホーカー氏は説明/Dimitris Sideridis

「彼らの生活は海がすべてだった」。カタール国立博物館で展示中の動画には、ジュマン・バシール・アル・ハマドさんがこう振り返る様子が捉えられている。この動画は高齢者に登場してもらってカタールの歴史を記録する連作の一部だ。

「朝の一番星が出てからマグリブの礼拝(日没)まで働いた」と、アフメド・モハメド・スルールさんは振り返る。

「休憩や昼寝はしなかった。朝食も昼食も取らなかった。唯一の食事は夕食の時間帯だった」。米に加え、手に入れば魚も食べることが多かった。

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