1985年8月12日、東京発大阪行きのJAL123便が墜落し、搭乗者524人のうち520人が死亡した。原因はJALではなく、ボーイングの技術者による修理の不備だった。
この事故の影響はJALに深く浸透しているとブレイスウェイト氏は言う。「日本のような文化の中で、彼らはグループとして責任を負い、二度とこうした事態を引き起こしてはならないと考えた」「問題が起きた時は、何を教訓とすべきかに目を向ける。どんなことでも改善のチャンスとする」
2005年には、20年前に起きた事故のことを記憶していない従業員が増えたことを受け、JALは本社内の一画に機体の残がいを展示して、乗員と乗客のストーリーを紹介した。
「間違いが起きればどんなことになるかを知らずにこの業界に入った人たちがいる。安全のためにどれほどの努力が必要かを、誰もが認識する必要がある、という思いだった」
ブレイスウェイト氏はそう語り、「標準的な運航手順と、全てを適切にこなすことに関し、彼らには非常に厳格な文化がある。今回のケースで乗員がこれほどうまく遂行できたのはそれが1つの理由だと思う」と解説。「同航空を選ぶべき理由があるとしたら、まさにそれだと思う」と評価した。
今回のような「滑走路侵入」は大惨事を招きかねない。何百人もの生命を救うためには乗員の迅速な対応が不可欠だった。JAL機は滑走路上で停止した数秒後に脱出シュートが展開され、機内に煙が充満する中で、搭乗者が素早く脱出した。
「極限状態における教科書のような避難だったように見え、操縦士と乗員、乗客に強い感銘を受けた」。匿名で取材に応じた欧州の大手航空会社の操縦士はそう振り返り、「現代の航空機の頑丈な性質と、操縦士の異常事態に対する対応訓練が何十年もの間に進化して、我々は今、航空史上、最も安全な場所にいる」と語る。
「航空機の大型化に伴って手順が改良され、90秒で全乗客が避難できる。航空会社によっては、明らかな惨状の際には客室乗務員が避難を開始でき、機長の指示を待つ間の貴重な数秒を無駄にせずに済むようになった」
現代の航空業界の安全記録は「幸運でなかった人たちの血によって書かれている」とパイロットは話し、全乗員がより良い仕事をできるよう、事故が教訓となって業界全体で共有されていると指摘した。