宣教師は少年少女たちが中国当局に見つかって送還されることを恐れ、ラオス経由で韓国入りさせる計画を立てた。一行は国境沿いに4時間歩き続けた末、ラオス警察に拘束された。
「宣教師からは、送還されれば殺される、家族もすでに殺されているだろうと言われた」と、ムンさんは話す。
しかし彼らを待っていたのは、予想とは正反対の手厚い処遇だった。学校へ行かなかった3年間を補うための教育も行われ、今は平壌市内で最高とされる学校に通っている。
パクさんは「私たちは祖国を裏切ったので処罰されると思っていましたが、それは愚かな心配でした」と話す。
彼らは送還された直後にも、韓国側の「誘惑」を非難するテレビ番組に出演した。そして今また、当局の「博愛と寛容」を示すシンボルとして表舞台に登場したのだ。
リーさんは自身の経験を童話にたとえ、「王子になった乞食(こじき)のような気持ち」と話した。ただ、彼らの家族は今も国境沿いの貧しい地域で相変わらずの生活をしている。
もしも当時あのまま韓国まで逃げ切っていたら、彼らはどうなっていただろう。ムンさんの答えはこうだ。「私は裏切り者、家族を見捨てた悪者になるところでした。人間のくずとして、歴史に名を残してしまったことでしょう」