民主化運動のシンボル、スーチー氏 ミャンマーのマンデラか
2010年、スーチー氏の自宅軟禁が解かれた。民政移管の一環だった。
NLDは2012年の選挙に参加が認められ、2けたの議席を獲得。スーチー氏自身も当選を果たした。
しかし、NLDが選挙に勝利したとしても、軍政権によって制定された憲法によって、スーチー氏が大統領に就任することは出来ない。外国人の家族を持つ者は大統領にはなれないとの規定があるためだ。
スーチー氏の夫は英国人で1999年に死亡しているが、2人の息子も英国籍だ。
しかし、スーチー氏は、いつものように、可能性がわずかであっても挑戦することを諦めないようだ。
スーチー氏は選挙前の記者会見で、NLDが勝利して政権を担うことになれば、自分が「大統領よりも上」の存在に立つとの考えを示した。
スーチー氏の頑固なまでの挑戦する姿勢がミャンマーの発展にとって障害となっていたと見る向きもある。しかし、スーチー氏の支持者らは、スーチー氏が、ミャンマーの民主化や平和、自由への夢にこだわり続けてきたのだと考えている。