機銃撃ちながら海に沈んだ第2次大戦の英雄、78年後に最高勲章受章 豪

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ビクトリア十字章を受章したエドワード・シーアンさん(写真右)/Australian War Memorial

ビクトリア十字章を受章したエドワード・シーアンさん(写真右)/Australian War Memorial

シドニー(CNN) 第2次世界大戦中、東南アジアでの戦闘の末に乗艦もろとも海に沈んで戦死したオーストラリア海軍の兵士がこのほど、死後78年を経て、軍人に与えられる最高級の勲章を授与された。

英連邦で軍人に授けられる最高級の戦功章「ビクトリア十字章」を12日に受けたのは、当時18歳の水兵、エドワード・シーアンさん。艦とともに沈む最後の瞬間まで敵軍の航空機に向けて機銃を撃ち続けた英雄的な働きと、自己犠牲の精神に対する授章だった。

1942年12月1日、シーアンさんは豪海軍のコルベット艦「アーミデール」の砲手として、現在の東ティモール近海で行われた日本軍との戦いに参加していた。

オーストラリア戦争記念館(AWM)の記録によると、アーミデールは同年11月29日に豪北西部ダーウィンを出港したときから日本軍の偵察機に発見されていた。ダーウィンから約720キロ離れたティモールの周辺は海洋、空ともに日本軍が支配を固めていた。

1942年12月1日、対空砲で攻撃するシーアンさんを描いた絵画。オーストラリア戦争記念館所蔵/Dale Marsh
1942年12月1日、対空砲で攻撃するシーアンさんを描いた絵画。オーストラリア戦争記念館所蔵/Dale Marsh

12月1日午後、日本の軍用機がアーミデールを急襲。魚雷2発を受けた同艦はすぐに沈み始め、兵士らには艦を捨てるよう命令が下った。

AWMの記録によれば傷を負っていたシーアンさんは艦を離れず、自分の体を対空砲に縛り付けて敵機への攻撃を開始。艦が水面下へ沈んでいく中、2機を撃墜した。

仲間の乗組員は、シーアンさんが海中へと引きずり込まれる最後の瞬間まで対空砲を撃ち続けていたと証言している。

アーミデールに乗艦していた水兵149人のうち、生き残ったのは49人。艦が沈んで1週間後に、ティモール海から救出された。

今回のシーアンさんへの授章に携わった専門家委員会は、これらの生存者について、全員がシーアンさんのおかげで命が助かったと考えている可能性が高いとの見方を示す。

シーアンさんはオーストラリアでは伝説的な存在だ。国内各地に記念碑が立ち、多くの国民から称賛を集める。豪海軍は、保有する潜水艦にシーアンさんの名前を付けてもいる。

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