ウイグル族がイスラム教国から強制送還されている 迫りくる中国の手に不安
トルコ・イスタンブール(CNN) アマニサ・アブドラさん(29)と夫のアフマド・タリプさんの人生を一変させるメッセージが届いたのは、アラブ首長国連邦(UAE)ドバイで赤ちゃん用の服を買いに向かっていた時のことだった。アフマドさんはメッセージを読むと、予定を急きょ変更した。直ちに警察署に出頭する必要があった。
2018年2月のその日、アフマドさんは後で迎えに来ると約束して、アマニサさんを友人宅の前で車から降ろした。彼はついに戻らなかった。
ドバイの自宅アパートに戻ったアマニサさんは眠れず、夜じゅう祈ったり泣いたりした。アフマドさんに繰り返し電話を掛けたものの応答はなく、ただ時間が過ぎていくばかりだった。
その翌朝、出産を間近に控えたアマニサさんは5歳の息子をしっかり抱きながら、足を引きずるようにして玄関を出た。そしてタクシーを呼んで警察署に行き、自分の苦境を警官に説明しようとした。
アマニサさんが話す間、小さな息子は母親の手を引っ張った。息子は静かに、アフマドさんが座っている監房を指さした。
その後13日間にわたって、アマニサさんは自宅と勾留施設の間を往復。法執行当局者にアフマドさんの釈放を懇願した。
アフマニさんが訪問するたびに、夫はますます意気消沈しているように見えた。夫は中国の「長い手」がUAEに住む自分たち一家にまで伸びてきたことを確信していた。
「ここは安全ではない、君は子どもを連れてトルコに行った方がいい」。夫は最後の会話でアマニサさんにそう言い、「新しく生まれてくる赤ちゃんが女の子だったらアミナ、男の子だったらアブドラという名前を付けてくれ」と頼んだ。
1週間後、夫はUAEの首都アブダビに移送された。その5日後、アマニサさんはアブダビ当局から、夫が中国に強制送還されたことを告げられた。
娘のアミナちゃんは1カ月後にトルコで生まれた。父親に会ったことは一度もない。
アマニサさんの証言はCNNが集めた十数人の証言のひとつだ。これらの証言では、エジプト、UAE、サウジアラビアのアラブ3大国において、ウイグル族が中国の要請で拘束され、強制送還されたとされる事案が詳しく語られている。
CNNは一連の身柄引き渡しについてエジプトやUAE、サウジに繰り返しコメントを求めたものの、返答は得られていない。中国政府もCNNのコメント要請に応じていない。
エジプトでは17年、人権団体がウイグル族数百人の拘束と20人の強制退去を確認した。その多くは高い権威を誇るイスラム教大学、アルアズハル大学の学生だった。
サウジでも18年から20年にかけ、ウイグル族のイスラム教徒少なくとも1人が、ウムラ(小巡礼)で複数の聖地を巡った後、拘束され強制送還された疑いがある。この他にも1人が巡礼後に拘束され、強制送還の可能性に直面している。
アマニサ・アブドラさんの夫、アフマド・タリプさんと息子のムサ君。ドバイで撮影/Courtesy Amannisa Abdullah
相次ぐウイグル族失踪の報告に、主にイスラム教徒で構成される新疆出身のディアスポラ(離散民)は不安を募らせている。
強制送還者の家族からは、自分たちの愛する人が新疆の収容施設に近年送られた推定200万人のウイグル族の中にいるのではないかと懸念している。
中国政府の影響力が世界で拡大する中、欧米諸国はウイグル族の処遇をめぐり中国を非難するものの、中東諸国などは中国国内外のウイグル族弾圧を黙って認める姿勢を強めるだろうとの懸念が人権活動家の間で広がっている。
4月に発表された国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)の報告書は、中国が世界中で数百人のウイグル族の居場所を突き止め、帰国を強制して訴追に直面させていると指摘。多くのケースでは「彼らに何が起きたのか知るのは不可能だ」としている。
一部のウイグル族にとっては、イスラム教国からの強制送還は特にいら立たしい事態だろう。イスラム教徒の連帯という考えは粉々になり、中国が急速に勢力伸長する世界の舞台でますます孤立感を深めることになる。
CNNは今回、アフマド・タリプさん拘束の8日後に当たる18年2月20日にドバイ検察が出した文書を見た。中国がアフマドさんの身柄引き渡しを要請していたことを確認する内容で、アフマドさんの名前が中国名「アイヘマイティ・タリフ」で記載されていた。
文書によると、ドバイ当局は当初、強制送還すべき証拠が不十分との理由からアフマド氏の釈放を決定していた。ドバイ検察は警察に対し、「上記の人物の捜索をやめ、別の理由で指名手配されているのでない限り、すべての制限を解除する」よう指示した。
ドバイ検察が出した文書。アフマド・タリプさんの強制送還を求める中国の要請を確認する内容で、ドバイ当局が当初釈放を決定していたことが記載されている/Brice Laine/CNN
しかし18年2月25日、アマニサさんは夫が強制送還されたことを告げられた。UAE当局はアマニサさんに、タリプさんの罪状を一度も説明していない。3年が経過した今も答えがないままだ。
「夫が罪を犯したというなら、なぜ彼らは私に教えないのか。なぜ中国は私に教えないのか」とアマニサさんはCNNに問いかけた。
「夫がまだ生きているかどうかは分からない」「中国からもUAEからも、彼に関する知らせは届いていない。両国とも沈黙している。完全な沈黙だ」
「なぜ自国の裁判所の文書に従わないのか。UAEはイスラム教国を自称しているではないか。今回の件が起きてからというもの、私は一度もその言葉を信じてない。絶対に信じない」
CNNはアフマドさんの件についてドバイ当局とUAE外務省に繰り返しコメントを求めたものの、返答は得られていない。
イスラム教徒が多数派を占める国から強制送還
新疆は中国で最も民族的に多様な地域のひとつで、イスラム教徒を主体とする様々な民族集団が暮らす。ウイグル族はその中で最大の民族で、独自の文化や言語を持つ。
多くのウイグル族は長年、故郷で不遇の扱いを受けていると感じてきた。経済政策が不公平であり、政府の関与で宗教的な行動やハラル料理、イスラム教の服装に制限がかけられているとの不満から、民族間の緊張に拍車がかかっている。
アマニサ・アブドラさんの娘のアミナちゃん(3、写真左)と息子のムサ君(8)。アミナちゃんはトルコで生まれ、父親に会ったことがない/Gul Tuysuz/CNN
中国では近年、習近平(シーチンピン)国家主席の下、新疆の少数民族に対する政策が目立って強硬なものとなり、多くの人が海外に向かおうとする状況となった。
16年以降には、中国政府が新疆のウイグル族住民を収容する巨大で厳重な警備を敷いた施設を運営している証拠が浮上。米国務省によると、最大で200万人が収容された可能性があるという。
元収容者や活動家は、こうした施設を「強制収容所」と形容する。収容者は脱イスラム化を意図した集中的な洗脳を受け、標準中国語の学習を強制され、共産党のプロパガンダを教えられる。
一方、中国は人権侵害疑惑を強く否定。新疆の収容所は宗教的過激主義とテロの根絶を目的とした自主参加型の「職業訓練施設」だと主張する。
しかし、CNNが集めた元収容者の証言では、強制労働や拷問、性的虐待のほか、他の収容者の死にまで言及されている。
米国務省は、中国政府がウイグル族に対してジェノサイド(集団殺害)を行っている非難してきた。
人権団体や中国国外のウイグル族の活動家からは、中国政府が文化的同化に加え、産児制限や不妊を強制しているとの指摘も上がる。
海外に住むウイグル族は長年、新疆で失踪した親戚について声を上げてきた。家族は引き裂かれ、多くの子どもたちが故郷の両親と連絡が取れずに孤児院で育っている。
ノルウェー首都オスロを拠点にする活動家、アブドゥウェリ・アユプ氏は、少なくとも28人のウイグル族が17~19年に、イスラム教徒が多数派の3カ国から強制送還されたのを記録・確認したと話す。21人はエジプト、5人はサウジ、アフマドさんを含む2人はUAEから送還されたという。
UAE・アブダビ首長国のムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン皇太子の歓迎式典を行う中国の習近平国家主席=19年7月22日/Zhai Jianlan/Xinhua/Getty Images
ただしアユプ氏は、これは氷山の一角に過ぎないかもしれないとの懸念も口にする。姿を消した最愛の人や新疆に残る他の家族の身の安全に危険が及ぶことを考えて、強制送還について公表するのを恐れる家族も多いという。
中国は中東で、地域内の交錯する政治的対立線を巧みに利用し、政治的な溝を越えて中東全域に友好関係を広げてきた。
近年では、サウジとその仇敵イランの双方と関係を強化している。
レバノンのように財政が苦しい中東の国は、中国から申し出があった場合、あらがうのが難しいかもしれない。同様に、石油資源が豊富な湾岸アラブ諸国も、新型コロナウイルス禍による景気低迷に直面しており、中国が財政の助け船になりうると見ている。
19年の公開書簡では、イスラム教徒が多数派の十数カ国(UAE、イラン、エジプト、サウジを含む)が、中国の新疆政策への支持を表明。書簡には37カ国が署名し、欧米諸国による国連人権理事会での中国批判に反論した。
UAEの駐中国大使は20年に新疆を訪れた後、中国の新疆政策を称賛。今年2月に行われた中国国営メディアとの会見で、訪問中に最も「感銘」を受けたのは「新疆に関する前向きな計画とビジョン」だったと述べ、「中国はこの地域に中国経済の中で積極的な役割を担い、安定をもたらし、生活水準や地域住民の暮らしを向上させてほしいと考えている」と指摘した。
HRWで中国を担当する上級研究者、マヤ・ワン氏によると、UAEやサウジ、エジプトの独裁政権によるウイグル族の扱いは驚くに値しないという。こうした国々は国連の拷問等禁止条約の署名国でもある。
ワン氏はCNNの取材に、「これらの政府の多くは人権を気にしない」と説明。「彼らは選挙で選ばれた政府ではなく、自国民を迫害している。ウイグル族の強制送還に関して法の支配や民主主義は存在しない」と語る。
エジプトで姿を消す
マリアム・ムハンマドさん(29)は息子2人に隠している暗い秘密がある。彼らが生まれてきた残酷な現実から守るため、父親のムフタル・ロジさんは長期の海外出張に出ていると言い聞かせている。ムフタルさんはもう4年近く姿を見せていない。
だがサラヒディンちゃんとアラエディンちゃんが父親のことを尋ねることはほぼない。父親が消えたとき、2人はまだ生後18カ月と5カ月だった。
マリアムさんが最後に夫から連絡を受けたのは17年7月16日で、拘束されたとのメッセージが送られてきた。
ムフタルさんはエジプト治安部隊の一斉摘発で捕まった数十人のウイグル人の一人だ。この劇的な一掃作戦は中国政府の要請で動いたとみられていて、複数の人権団体が記録している。
HRWによると、17年7月の一斉摘発ではウイグル人に人気のレストランやスーパー、さらに自宅が対象となった。少なくとも62人のウイグル族が拘束され、その多くはアルアズハル大学の学生だった。
自制心の強いマリアムさんは、話をする際は事実のみを述べて、家族に降りかかった感情的な影響には触れなかった。だが夫が残した最後の言葉を思い出したとき、胸が詰まった様子だった。「彼はこういった。『あなたは私のかえがえのない存在だ。大好きだ』と」
マリアムさんは涙をぬぐいながら「強くいようとすることに疲れた」と語る。「子どものため、夫のため、私が強くいようとしなければならないことはわかっている」
マリアム・ムハンマドさん(中央)と子ども、夫のムフタル・ロジさん。夫はエジプトでのウイグル族の取り締まりで姿を消した/Courtesy Maryam Muhammad
中国とエジプトはこうした強制送還の情報を一度も公式に認めたことはない。この事案が起きたのは両国が安全保障協力協定に署名してから1年足らず、そしてエジプト内務省と中国公安部が「技術協力文書」に署名してから3週間にも満たないタイミングだった。
両政府ともこの事案に対するCNNからのコメントの要請に応じていない。
HRWによると、中国は同年の早い時期に、外国で学ぶウイグル族の全学生に帰国するように要求していた。
マリアムさんは、家族はエジプトでの合法的な地位を証明するのに必要な書類を全てそろえていたと語る。「私たちはパスポートを持ち、(エジプトの)住民カードを持ち、在エジプト中国大使館から入学の許可も得ていた。だからこのことについてそれほど心配していなかった」
マリアムさんはCNNに対し、家族の法的地位を確認する文書やカイロの中国大使館が発効した婚姻証明書を見せた。
摘発のニュースが広まった17年7月上旬、家族は身を隠して、エジプトから逃げる計画を立てた。マリアムさんと息子たちはトルコ・イスタンブールに飛行機で飛ぶ計画だったが、ムフタルさんは拘束される可能性が高まったため、監視の目をかいくぐってヨルダンにフェリーで渡る予定だった。
ムフタル・ロジさんはイスラム教の権威、アルアズハル大学の学生だった/Courtesy Maryam Muhammad
だがムフタルさんからの最後のメッセージは、エジプトのヌワイバ港で捕まったとの内容だった。
マリアムさんは必死になってムフタルさんを探した。リスクを覚悟でエジプトに飛行機で戻り弁護士まで雇った。だが警察からは彼の記録は何もないと言われた。
「私の夫が空気になったようだった」
巡礼の旅で姿を消す
トルコ・イスタンブールのサウジ領事館前で、雪の中静かに立っているウイグル族の少人数の集団がいる。ここは18年10月にジャーナリストのジャマル・カショギ氏が殺害された場所として知られている。
この集団を率いるのはヌリマン・ベリさんだ。寒さで眼鏡は曇り、手は震えている。持っているプラカードにはサウジに向けたメッセージが書かれている。「私の父を中国へ送還しないで。住んでいるトルコによこして」
彼女の父、ハムドゥラ・アブドゥウェリさんはイスラム教の聖地、メッカとメディナに向かう巡礼の旅の途中、サウジ国内で拘束された。まだ送還はされていないが、ヌリマンさん姉妹はもう1人の親まで失うことを避けようと、時間と闘っている。
姉妹は4年あまり前、新疆にいる母親と連絡が取れなくなった。「父まで失ったら、私たちはだめになる」とヌリマンさんは語る。
新型コロナウイルスの流行の影響でサウジは空港を閉鎖した。巡礼の旅をしていたハムドゥラさんは同国に取り残される形となった。
10月になり、ハムドゥラさんは家族に「中国人のエージェント」に後をつけられているとの疑念を伝えてきた。その1カ月後、ハムドゥラさんはウイグル族のルームメートとともに拘束された。HRWなどが釈放を訴えているが、2人からの連絡は途絶えたままだ。
ヌリマン・ベリさん姉妹は姿を消した父とその友人の写真を掲げてイスタンブールのサウジ領事館の前で抗議している。個人情報保護のため写真の一部にぼかしを入れている/Gul Tuysuz/CNN
ハムドゥラさんの事案は、メッカへの巡礼の旅の途中で拘束されたとされる事例の少なくとも2件目に当たる。
18年7月には、オスマン・アフメドさんが聖地への訪問中にサウジ当局により拘束されたと伝えられている。家族がオスマンさんの居所を探って3カ月たったとき、サウジにいる年配の親族の女性から家族に連絡があった。サウジ当局からオスマンさんの居所の情報を得たとのことだった。
娘のイルミヌル・オスマンさんは「当局が彼女に『彼の出身地がどこであれ、我々は彼をそこに送り返した』と言った」と話す。
家族はオスマンさんのたどった運命を確認できていない。だが、新疆にいる人から、オスマンさんの姿を新疆の収容所で見かけたとの情報を得ているという。
CNNはサウジに対し両事案のコメントを求めたが反応はない。
「サウジアラビアは恥を知れ。もしウイグル族に巡礼の旅に来て欲しくないのなら、ただ『ここにいて欲しくない』と言えばいいだけだ」。活動家のアユブさんはCNNにそう語る。「人々が巡礼の旅をしているときにこんなことをしてはならない」
サウジのムハンマド・ビン・サルマン副皇太子(当時)と習近平国家主席が握手を交わす=16年8月31日、北京の釣魚台国賓館/Pool/Getty Images AsiaPac/Getty Images
ヌリマンさんがサウジでウイグル族の人々が拘束され、中国に強制送還されているとの話を聞いたのは、父親が拘束された後だった。「もし知っていたら行くなと言っていただろう」とヌリマンさんは話す。
活動家からは、こうした状況はイスラム世界のリーダーに対する罪の告発になると語る。
「こうした国々はイスラム世界のリーダーを自任している。だが、人々を送還し、イスラム教徒であるとの理由で迫害を受けることがわかっていても顔色一つ変えない」とワン氏は語る。「これは言語道断で偽善だと思うが、地政学の現実を示している」
中国とトルコが関係強化
これまでウイグル族のイスラム教徒にとって安全な地と考えられていたイスラム教国でも、状況は流動性を増している。
この10年間、トルコには数千人のウイグル族が定住し、主要都市にはウイグル族の地区や学校が出現した。
ウイグル族は宗教がトルコ国民の大半と同じだけでなく、テュルク系民族に属することから話す言語も似ている。
だがこの数年、一時はウイグル族の権利の擁護者だったエルドアン大統領が中国の新疆政策への批判をトーンダウンさせている。中国との関係強化を狙っているように見える。
トルコのウイグル族コミュニティーの子どもが仮面をつけて中国外相のトルコ訪問に抗議=21年3月25日/Bulent Kilic/AFP/Getty Images
両国間の犯罪人引き渡し条約は昨年後半に中国が批准。トルコでは議会の承認を待つ状態となっているが、懸念が増大している。トルコ当局者は、ウイグル族を中国へ送還したりはしないとウイグル族やトルコ国民を安心させようと躍起だ。
チャブシオール外相は昨年12月、「トルコがウイグル系トルコ市民を中国に引き渡すものだとしてこれを解釈するのは正しくない」と述べ、過去に中国から要請があったときもトルコは従わなかったと説明した。
だが、活動家のアブドゥウェリ・アユプ氏によると、昨年、少なくとも4人のウイグル族がトルコからタジキスタンに送還された。そこには母親1人とその子ども2人が含まれていたという。
アユプ氏は複数の証言から、彼らが最終的に中国に行き着いたことが示唆されていると語る。
昨年9月、トルコの移民管理総局は中国にウイグル族を送還したことを否定した。総局は「我々が直接、または第三国を通じて、ウイグル系トルコ人を中国に送還したことはなく、現在も今後もそうした政策はとらない」との声明を出している。
だがこうした公式声明でウイグル族の心配が和らぐことはほとんどない。
アマニサさんの3歳の娘はイスタンブールの小さな集合住宅の部屋しか自分の家を知らない。トルコの変化を追いつつ、アマニサさんは自分や子どもに対して世界の包囲網が狭まってきていると感じる。
アマニサさんはイスタンブールに到着後、街中を歩いて通行人に海へ向かう道を聞いた。子どもを連れて景色を楽しみたいからと通行人には話した。だが、その本心は絶望の深さを物語るものだった。
「私がしたいのは中に入ること。子どもと一緒に。私は泳ぎ方を知らないから」。「私はこの世界に生きる権利がない。もしかしたらこの世界は、私が他の人々と同じように生きられるほど大きくはないのかもしれない」