前出のCNFの幹部は、自らの活動並びに同じくキャンプ・ビクトリアで訓練している民兵組織の一つ、チンランド防衛隊(CDF)について、ミャンマーの国民統一政府(NUG)に率いられていると主張する。
キャンプ・ビクトリアはミャンマー西部のインド国境付近に位置する
亡命政権であるNUGは軍事政権に反対する勢力の緩やかな連合体だが、現状ではほぼ名ばかりの存在で、国内の武装勢力に対する指揮権や監督権は持っていない。
ジャングルの訓練キャンプの卒業生たちにとっても、解放のために戦うという情熱的な理想は苦い結末で終わる可能性がある。
外部の人間の目に紛争の実態がどう映っているのかを気にかけながら、1人の若い兵士がインタビューに答えた。元ジャーナリストでヤンゴン大学卒だというこの兵士は部隊の指揮官を務め、当初は10人の兵士を率いていたと説明する。都市でのゲリラ戦に特化した訓練を積んだ部隊だという。
「少なくとも、当初は10人を指揮していた。今は7人しかいない。先週3人を失った。彼らは軍事政権に対して使用する自家製の爆弾を運んでいたが、それが手の中で爆発した。全員即死だった」(同兵士)
部下を失った後、CDFの上官から命令を受けてキャンプ・ビクトリアに戻った。休養のためとされたが2~3日後には新しい黒の軍服を身に着け、より専門的な訓練を受けていた。今その目を輝かせているのは冷徹な覚悟であって、希望ではない。
膠着状態は勝利にあらず
だが、軍事政権は情け容赦なく反撃するだろうと専門家は語る。
「ミャンマー国軍はこうした地域で『4つの切断』という長年確立してきた対反乱戦略を用いている。意図的に市民を標的とする冷酷な方法で、反乱分子から食糧、資金、徴兵、軍の動きに関する情報を奪うのが狙いだ(従って4つの切断となる)。人口密集地域での攻撃は食料品店の略奪、救援物資の拒否と並んでこの戦略の不可欠な部分となり、国際人道法に明確に違反する」とICGは解説する。
キャンプ・ビクトリアの周囲では、この戦略は十分知れ渡っている。辺境の村を離れた住民は小さな難民キャンプに身を寄せ、川向こうにあるインド側の避難所に逃れた人々もいる。こうした難民のほとんどは女性、子ども、高齢者で、誰もが同じ理由から村を去っている。
新たに立てられた避難所の中に座った高齢の女性、ティアル・ソングさんはミャンマー軍の卑劣さや凶暴さに恐怖を感じると訴える。20年前には自宅で息子が拷問を受け、頭部が血まみれになったという。
別の難民はCNNの取材に対し、軍の支配が続く限り自分は難民のままだろうと話した。
キャンプ・ビクトリアの防御線を越えると、その先はチン州の山々がほぼ垂直にそそり立ち、幾重にも連なる波となって分厚いジャングルが広がる。キャンプにたどり着くには、急勾配(こうばい)の峠を狭い泥道に沿って進まなくてはならない。
地元住民の多くは経験豊富な猟師で、外部から侵入する軍隊に対してその強みを発揮する。また巨大な情報ネットワークを地域内に有するため、兵士らは敵軍の動きに関する最新の情報を州内各地の村の工作員から受け取れる。
しかし、こうした利点のみでは反軍事政権を掲げる部隊が生き残る助けにならないだろう。膠着(こうちゃく)状態は勝利ではない。
ジャングルのゲリラらしからぬ若者
チン族の支配地域へ入る、あるいはそこから出る際には、過酷な忍耐を強いられる。たいていは数日がかりで、きつい振動を体に受けつつ、泥で滑る道を中国製の小型バイクの後ろに乗って進まなくてはならない。この小さな125ccの乗り物こそ、現代が生んだ頼れる運び屋だ。兵士、弾薬、それから食糧を、遠く離れたCDFの運営する各訓練キャンプまで届けてくれる。
CNNが訪れた訓練キャンプの一つはジャングルの小道の近くに位置し、わずかばかりの掩蔽壕(えんぺいごう)と志願兵が寝泊まりするテントを備えていた。彼らはここを住居兼戦闘基地として、今後数カ月もの間過ごすことになるのだろう。