旧ソ連最後の指導者ゴルバチョフ氏が死去、91歳
(CNN) 1985~91年に旧ソ連最後の指導者を務めたミハイル・ゴルバチョフ氏が死去した。91歳だった。
ロシアの複数の国営通信は、ゴルバチョフ氏が長い闘病の末に死去したと伝えた。
RIAノーボスチ通信が30日に中央クリニック病院の発表として伝えたところによると、「ミハイル・セルゲービッチ・ゴルバチョフ氏は今晩、重く長い病気を経て死去した」という。
ゴルバチョフ氏はソ連に政治経済面の重要な改革をもたらし、冷戦終結に寄与した人物として知られる。しばらく前から健康状態が悪化していた。
ロシアのペスコフ大統領報道官はRIAノーボスチ通信に、プーチン大統領は哀悼の意を示したと発表した。同通信によると、プーチン氏は31日中にゴルバチョフ氏の家族や友人にメッセージを送るという。
世界各国の首脳からも追悼が寄せられた。バイデン米大統領は声明で「驚くべきビジョンをもった人」だったと述べた。
バイデン氏は「ソ連の指導者として、彼はレーガン元大統領と両国の核兵器の削減に取り組み、核の軍拡競争の終えんを願う世界中の人々を安心させた」とも述べ、ゴルバチョフ氏の改革が「多くの人々により安全な世界とより大きな自由」をもたらしたと評価した。
欧州連合(EU)の行政トップ、フォンデアライエン欧州委員長はツイッターに、冷戦終結でのゴルバチョフ氏の役割は「自由な欧州の道を開いた。その遺産を我々が忘れることはない」と投稿した。
社交的でカリスマ性のあるゴルバチョフ氏は、それまで遠く冷たい印象だったソ連指導者の型を破った。指導者の座に就いた当初から、より効率的で民主的な体制を目指して重要な改革に尽力。このため、グラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(改革)という2つの言葉が同氏の時代のキーワードとなった。
ゴルバチョフ氏は後年、「私がこれらの改革を始めた。私が目指したのは、血を流さずに自由と民主主義を達成することだっ た。国民が羊飼いに導かれる羊ではなくなり、市民になるようにするためだ」と語っている。
RIAノーボスチ通信がゴルバチョフ財団の話として伝えたところによると、ゴルバチョフ氏はモスクワの墓地で妻の横に埋葬されるという。
農民から共産党のスターに
ゴルバチョフ氏の人生は質素な生い立ちから始まった。1931年3月2日にスタブロポリ近郊の農民の家に生まれ、学業の傍ら農作業を行い、コンバインの操縦士だった父親と一緒に働いた。
52年に共産党に入党。55年にはモスクワ大学で法律の学位を取得した。大学で同級生のライサ・ティタレンコさんに出会い、結婚した。