(CNN) キブツ(農業共同体)はただの物理的な場所や協同生活の形態ではない。ユリー・ベン・アミさん(27)は自分の住むイスラエル南部ベエリ・キブツの人々を拡大家族のようだと語る。
ベエリの住民は退避を迫られ、国中に散った。それでも、その強い結びつきは今も変わらないという。ベエリは今月7日、イスラム組織ハマスの恐ろしい攻撃を受け、少なくとも住民100人が亡くなった。
人口900万人あまりのイスラエルで、キブツに住む人はわずかだ。だが、ベン・アミさんはほかの生き方をしようとは思わないと語る。ベエリで両親や2人のきょうだいとともに育ち、親戚の何人かと同じく地元に根ざして生きていくと決めた。親族は同じキブツの近い場所に別々に暮らしている。
今月6日にはベエリの設立77周年を祝う祭りが催された。そして翌日、ハマスの戦闘員による襲撃を受けた。未明に銃を携え、境界を越えてきた戦闘員の最初の標的の一つがベエリだった。死者のほかに行方不明となっている住民もいるが、その数は明らかとなっていない。ベン・アミさんは両親が戦闘員によって連れ去られ、パレスチナ自治区ガザ地区で捕らわれの身になっていると信じている。
ベン・アミさんによれば、ベエリで生き残った人々は今、イスラエル中に散らばっている。それでも一つのコミュニティーとして維持し、互いの無事を確認して、いつの日か生き残った人々で再び一つになるという望みを捨てずにいる。ベン・アミさん自身も最愛のコミュニティーに帰還できる日を夢見ている。今回、言葉では言い表せない悲劇に直面する中、ベン・アミさんはCNN Opinionのステファニー・グリフィス編集者に7日のことや、コミュニティーへの愛を語った。
本稿で示される見解はベン・アミさんのもので、内容をわかりやすくするために簡単な編集や要約が施されている。
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「私は午前6時20分に携帯電話のアラームアプリで起きた。30分ほど過ぎたころ、我々のキブツに何者かが入ったとのメッセージが届いた。何者か。テロリストだ。その瞬間から、私たちはドアの鍵をかけ、明かりを消して、息をひそめなければならなかった」
「私は家族の他のメンバーにテキストメッセージを送った。私は私の家、姉妹は姉妹の家、両親は両親の家、おばはおばの家、祖母は祖母の家にいた。全員がキブツ内の自分の場所にいた。全員の無事を確かめたくて、(通信アプリの)ワッツアップで互いにやりとりをした」
ラズ・ベン・アミさん/Yulie Ben Ami
「9時半に、母が私宛てに、テロリストが家に侵入しようとしていて、ドアを破ろうとしているとメッセージを送ってきた。彼らが避難部屋に向けて銃撃しているとも記し、恐怖を感じるものの、何をすればいいかわからないと書いていた。10~15分ぐらい後に、母と父が私に、彼ら(襲撃者)が家の中にいて、あらゆるものを壊していると伝えてきた。10時6分、父は私に「彼らは避難部屋にいる。彼らは我々を捕まえた」とのメッセージを送ってきた」
「したがって、彼らは私の母と父を2人とも捕まえた。30分後、(SNSの)テレグラムで父が2人の男とともに写っている写真を見た。男らは父をどこかへと連れていこうとしていた。行く先はわからない」
「母に何が起きたかはわからない。その写真には写っていなかった。彼らの周囲にはいなかった。両親は他の連行された人々と一緒にガザにいると思うが、どこにいるかは実際にはわからない」
――あなたは両親が2人ともガザでハマスの人質として捕らわれていると考えている。イスラエルが人質を解放しようとする際に親族に危害が及ぶ可能性があると不安に思うか。
「私は私の軍を信頼している。彼ら(軍)は自分たちがやっていることを理解していると本当に思う。彼らは人質の安全を確保するために全力を尽くすと確信している。彼らは私の家族を救ってくれたから、それを本当に信じたい。彼らは私と私のボーイフレンド、姉妹、家族の他のメンバーを救ってくれた。自宅から我々を連れ出し、私の身の安全を守ってくれた。だから、彼らは自分の行動を理解していて、両親も早く、安全に帰還できると本当に信じたい」
――あなたはボーイフレンドとともに、どのように身の安全を確保できたのか教えてほしい。
「私たちは家の中にいた。鍵をかけ、物音を立てず、明かりを消した。ただ、彼らが私たちの家に来なかった本当の理由は、家がとても小さいからだと思う。私の両親の家はとても大きい」
「たぶん、彼らは家族を探していたんだと思う。両親が住む地域全体をうろついていたが、そこはほぼ全員が小さな子どものいる家庭だ。そして彼らはすべての家を焼き払った」
――彼らはどうやって両親の家の避難部屋に侵入できたのか。
「外側から開けられないように扉を閉める方法はない。最良の方法はハンドルをとても(固く)握ることだが、いずれは持ちこたえられなくなる。キブツのいくつかの家には火がつけられ、中の人々は息が苦しくなる。ときにはテロリストが多く(の道具)を持ってきて、ドアに穴を開けて、手りゅう弾を内側に投げ込むこともある」
――この地域の問題は何十年、何世代にもわたっている。こうした激しい憎悪の源は何だと思うか。
「彼らは一つのことを信じていて、それ以外のことは重要ではない。まるで自分たちの信念こそが重要な信念だというような感じだ。全員が彼らの欲するものを行う必要がある」
――キブツの生活を教えてほしい。家族がキブツでの生活を選んだ理由は。
「生活するのに一番いい場所だからだと思う。誰もが互いを知っている。とても強いコミュニティーで、全員が互いを思いやって生きている。そこは安全だと感じていた。7日まではとても安全だと感じていた」
オハッド・ベン・アミさん/Yulie Ben Ami
――あなたはずっとそこで暮らしているのか。
「はい、5歳から」
――両親はあなたをそこで育て、あなたは同じキブツにある近くの家に引っ越した。キブツではどんな仕事をしていたのか。
「私は学生で、ビジュアルコミュニケーションとデザインを学んでいる。今は働いていない。働いているときは店で働き、私は誰をも知っていて、誰もが私のことを知っていた。我々にはさまざまなものがあり、印刷事業があり、多くの農業の仕事もある。とても強いコミュニティーだ」
――人口は。
「1200~1500人だ」
――この悪夢が終わるとき、またそこに住み続けられるか。
「最高の暮らし方だ。私は本当に自分のキブツを愛している。本当にこの場所を愛している。本当にそこの人々を愛している。うそではなく、(襲撃後も)私たちは同じように感じていると言える。自分のキブツを愛しているから、そこに戻りたい」
――キブツの人々との間では、襲撃後にどんなコミュニケーションをしているか。
「私たちは100人以上が殺されたと知った。現在ガザにいる人数はわからず、不明者の居場所もわからない」
「我々は本当に互いを愛し合い、互いを守っている。私は自分のコミュニティーにこれ以上のものを求められない。今、特にこの状況では、私の周りにいる全員が私を助け、支援してくれていると感じる」
――あなたが今いる場所は。
「私は家族とともにいる。イスラエルの北部で、両親に関するいい知らせを待っている。最良の結果を祈っている」
――キブツには住んでいなかった親戚のもとに、現在身を寄せているということか。
「いいえ。イスラエル人の誰かでここには今住んでいない人物が、自宅を我々に貸してくれた。我々に行く当てがないためだ。知らない人物が我々に家を使っていいと認めてくれた。イスラエル人は最良の人々だ。自分の家を開放して、私たちが一緒になれる場所を与えてくれた」
――あなたが救出されるまで数時間あり、最後には軍によって解放された。軍があなたを取り戻し、安全になったときについて話が聞きたい。
「とてもホッとした。ようやく家族の他のメンバーやキブツの人々と一緒になれると感じた。彼ら(軍の隊員)には大きな感謝の念を抱いた。というのも、キブツの中は安全確保の面で本当に複雑な状況で、銃を携えたテロリスト全員があらゆるところを撃っていたので、彼らが我々のためにやってくるのは大変だとわかっていたからだ」
――今、感情的にどのように持ちこたえているか。あなたが両親に関する情報を待っていて、トラウマを抱えている状況だと理解している。
「まだ心の整理がついていない。私の家族は全員一緒で、それが助けになっている。だが、我々は心理的に対処すべき大きなトラウマを抱えている。ここには話し相手になり、我々を気遣い、我々の感情を察してくれる人々がいる」
――政府は心理カウンセリングを提供してくれているか。
「彼らは我々が必要とするものをすべて提供してくれている。すべてを現地に置いてきてしまったので、人々は食料、衣服など我々が必要とするものすべてを与えてくれる」
――あなたは人々が目下のひどい状況を理解してくれないと感じるか。
「何か起きるたびに、人々は我々が非難を受けるべき人物だと言っているように感じる。だが、我々は間違いなく被害者だと思う。銃を持った人物が子ども、母親、祖母、祖父、一つのコミュニティーの100人の人々に何をしたのかということを、世界は理解する必要があると思う」
――イスラエルは以前より強くなると思うか。
「もちろん、もっと強くなるだろう。だが、我々が知るすべての人、その多くが行方不明だ。彼らは私たちとはもう一緒にいない。彼らは戻ってこない」