ウクライナ制圧のスジャ、取材班が現地入り 住民の恐怖と混乱「何が起きているか分からない」
ロシア・スジャ(CNN) 通りで腐敗する遺体。道路に並ぶ弾痕だらけの民間人の車。広場にあるレーニン像は、顔の半分が吹き飛ばされている。通りには銃弾の破片が散乱し、地元住民は防空壕(ごう)に身を寄せる。
引き裂かれ内部があらわになった建物には、死臭が立ちこめていた。
ウクライナ人にとっては痛いほど見慣れた光景だが、ロシアにはこれまで無縁だった。しかし国境の町スジャが11日前にウクライナ軍の攻撃を受け、ウクライナのゼレンスキー大統領は15日、町の制圧を主張した。ロシアのプーチン大統領が2年前に自ら選んだ戦争を仕掛けたとき、ロシアは自国が侵攻を受けるとは予期していなかった。
CNNはウクライナの第1撃で粉々になった国境検問所を通り過ぎ、ウクライナ軍に付き添われてロシア国内に入った。前方の空には時折爆発による黒い煙が立ち上るものの、道路そのものは現実離れした静けさだった。
スジャに入る脇道にはキリスト教正教会の巨大な十字架が建ち、「神が私たちを救済し保護する」と書かれている。数メートル離れた場所には、数日前の戦闘で使われた戦車2両や、他の装甲車の残骸が横たわっていた。
町の通りはほとんど人けが無かったが、周囲で猛威を振るう嵐の音が響いていた。小火器の音やひっきりなしに続く砲弾の発射音が沈黙を破ったものの、それは遠方の出来事だった。
付き添いのウクライナ人によれば、ここ数カ月のあいだ前線でウクライナ軍の前進を阻んでいたロシア軍の攻撃ドローン(無人機)は前線の戦闘に張り付き、国境やスジャにいるウクライナ軍に嫌がらせをする余裕はない。ドローンやロシア軍の航空戦力が見当たらないことから、今回の奇襲に当たりウクライナ軍の能力が向上した可能性がうかがえる。ロシアに入る道路には欧米から供与された装甲車が至る所にあり、ウクライナはかねて不足を訴えていたリソースを今回の戦闘に投入しているようだった。
スジャは完全に無人ではなかった。大型ビルの一つでは、地下室の入り口の前に「ここの地下室にいるのは平和的な人たち。軍はいない」と手書きされた大きな段ボールの掲示が見えた。外に座っていたのはイナさん(68)。他にも60人の民間人が地下にいるという。
地下では、取材班が過去2年間に数十のウクライナの町で目撃した光景が広がっていた。ロシアで見てもやはり悲しい光景だった。
入り口にいたスタニスラフさんは、生活はどうかと聞かれ、灰色のひげをなでながら「分かるだろう。これは生活ではない。存在しているだけ。生活ではない」と答えた。
暗くじめじめした地下には、病弱な人、孤立した人、混乱した人が身を寄せていた。かつらと鮮やかな赤いサマードレスを身に着けたままの高齢女性は軽く体を揺らしながら、抑揚のない声で「終わりが見通せない。せめて停戦になれば平和に暮らせるのに。何もいらない。これは私の松葉づえだが、歩けない。歩くのはとても大変」と漏らした。湿気の多い薄闇の中、顔の周囲にはハエが飛んでいた。
次の部屋では、明かりが6人家族をちらちら照らしていた。男性は「1週間が経った。何の知らせもない。周囲で何が起きているのか分からない」とコメント。息子は隣で押し黙り、白い顔は無表情だった。
外の通りではニーナさん(74)が薬を探していた。店舗は引き裂かれ、薬局は閉まっている。ニーナさんは町を離れたくないと語る。同様に傷ついた町に残った多くのウクライナ人女性と同じように、ニーナさんも慣れ親しんだ場所で暮らす権利を切々と訴えた。
「町を離れたければ離れる。なぜ50年間も住んでいた町を離れるのか。娘と母は墓地に眠っているし、息子は(ここで)生まれた。孫も…。私は自分の土地で暮らす。自分がどこに暮らしているのか分からない。これが誰の土地なのか分からない。何も分からない」