大量の人骨と武器が明かす、3250年前の戦闘の恐るべき実態 独
ベルリン自由大学内にある古代研究大学院所属の研究者で、論文の筆頭著者を務めたレイフ・インセルマン氏は矢尻に見られる違いについて、少なくとも一部の戦士、もしくはトレンゼ川渓谷で戦った一方の勢力の全体は、非常に遠方からやってきたことが示唆されると述べた。
インセルマン氏と同僚らは、矢尻が他地域から輸入されて地元の戦士たちによって使用された公算は小さいとみている。そうであれば、現地の儀式的な埋葬の跡から矢尻が見つかると考えられるからだ。青銅器時代には矢尻を副葬品とする習慣が存在した。
戦闘の規模と原因について、正確なことは依然として不明だが、今回の論文によればここまで見つかった人骨と武器の数から、2000人以上が戦いに加わったとみられる。研究者らはより多くの人骨が渓谷に眠っていると考えている。
研究者たちがトレンゼ川渓谷から発掘した様々な形状の矢尻/Leif Inselmann via CNN Newsource
紀元前13世紀は交易と文化交流が拡大した時代だが、青銅製の矢尻がドイツ各地で見つかることを考えると、武力衝突が増加した時代でもあったようだ。
「今回の新たな情報で、青銅器時代のイメージは相当変わった。従来考えられていたような平和な時代ではなかった」「紀元前13世紀には葬式や各種の表象、物質的文化が変化を迎えた。私はこの紛争を重要な変化のプロセスの兆候と見なしている。青銅器時代の社会におけるこうしたプロセスには、激しい紛争が伴った。トレンゼ川渓谷の戦いは、恐らく氷山の一角に過ぎないのだろう」と、論文共著者のトーマス・テルベルガー氏は述べた。同氏は独ゲッティンゲン大学先史・歴史考古学部の教授を務める。
新たな研究では、人骨に残る矢傷の位置を分析。それによると戦士たちは体の前面を盾で防御する一方、背中は無防備だったと考えられる。
アイルランドのユニバーシティー・カレッジ・ダブリンで考古学を専攻するバリー・モロイ准教授は、研究により戦場における弓矢の重要性に対する認識も深まったと指摘。青銅器時代の戦争に関する過去の研究では、弓矢はしばしば過小評価されてきたという。モロイ氏は今回の研究に関与していない。
モロイ氏によれば、長年研究者らは青銅器時代の暴力を小規模なものと主張し、現地の共同体に属する数十人が参加したと考えていた。しかしトレンゼ川渓谷の戦いはこの定説を一気に覆した。
大規模な戦闘の存在は研究者らに対し、青銅器時代における社会組織及び戦争の実態の再考を迫っている。