ビートルズ初訪米から50年、知っておきたい5つのこと
2.当時、ビートルズは本当にアメリカで無名だったのか
実は、全く無名というわけではなかった。母国英国では、1963年2月に「プリーズ・プリーズ・ミー」が1位を獲得してから数カ月間、ビートルズのシングルが相次いで1位を獲得し、秋までにビートルマニアの熱狂は最高潮に達した。
エド・サリバン・ショーは12月半ばに、ビートルズの3週連続出演を発表。またニューヨーカー誌が1963年12月28日号に小さな記事を掲載するなど、米国のいくつかのメディアがビートルズを取り上げた。
さらに米国の大手レコードレーベル、キャピトル・レコードが12月に大々的なキャンペーンを開始し、1月までに全米のラジオでビートルズの楽曲が流れた。そして2月1日、5枚目のシングル「抱きしめたい」がついに米国で1位を獲得した。
3.観覧席にいた人々
エド・サリバン・ショーを放送していたCBSには、番組収録が行われるCBSスタジオ50(その後エド・サリバン・シアターに改名)の観覧席728席に対し、5万件もの応募が寄せられた。ビートルズのライブやドレスリハーサルを観覧した人の中には、有名キャスターやテレビ司会者の娘たちや、ニクソン大統領の2人の娘も含まれていた。