チラシ配りから大物音楽マネジャーへ、情熱でつかんだ成功
「人生の分岐点が訪れたのは17歳ごろだ。当時、いくつか進むべき道があったが、家族に恵まれたおかげで正しい決断を下せたと思っている」(カーター氏)
当初、音楽業界の大物として成功するとは思っていなかった。
カーター氏は「単にヒップホップ音楽が大好きな子どもだった」とし、「とにかく音楽や文化が大好きで、何としてもその分野で働きたかった」と付け加えた。
そして短期間ながらラッパーとして活動していたおかげで、カーター氏は、ジェフ・タウンズとウィル・スミス(DJジャジー・ジェフ・アンド・ザ・フレッシュ・プリンス)と仕事をする機会があり、それをきっかけに大物音楽プロデューサー、ショーン・コムズ氏のレコードレーベル、バッド・ボーイ・レコードでインターンとして働くチャンスを得た。そこから、カーター氏が音楽業界のビッグネームたちのマネジメントを手掛けるようになるまでそう長くはかからなかった。
ではポップスターを育てる秘訣(ひけつ)とは何か。カーター氏はそんなものはないと語る。
「われわれの仕事はポップスターを作ることではなく、あくまで彼らのマネジメントだ。彼らの成功を自分の手柄にするつもりはない。われわれは自分たちがチームの重要な一員であることを自覚している。しかしマネジャーの存在価値は、あくまでもそのクライアント(であるスター)と同等のものだ」(カーター氏)
レディー・ガガに関して、彼女はスターになることが運命づけられていたとカーター氏は語る。