捕鯨からホエールウォッチングの島へ アゾレス諸島が成功した取り組み
現代の視点で見ると捕鯨はひどく残酷に映るが、当時、アゾレス諸島には捕鯨以外にお金になる仕事はなく、島民たちにとって捕鯨は生きるための手段だった。多くの捕鯨船員たちは、元は裕福な地主のために働く農夫で、泳ぎ方さえ知らない者もいたが、家族を養うために命がけで働いた。
「捕鯨やその派生物の商業的加工は、地元の人々にとって極めて貴重な収入源だった」と社会学者兼人類学研究者のホセ・カルロス・ガルシア氏は語る。捕鯨で稼いだ金は、食料品、子どもの教育、その他の必需品に充てられた。
捕鯨産業は過去1世紀ほどの間に衰退した/Pedro Madruga/Visit Azores
緩やかな減少
しかし、その状況も永遠には続かなかった。クジラの個体数の減少に加え、1859年の原油の発見など他の市場要因により、20世紀半ばまでに鯨油に対する需要は急激に減少した。
1987年に捕鯨産業が終焉(しゅうえん)を迎えるまで、アゾレス諸島の捕鯨船員たちは、小型の木造船に乗り、手作りの道具を使って、ごく少数のマッコウクジラを捕獲していた。それに対し、他国の捕鯨船員たちは最新の捕鯨船と銛(もり)を使用していたため、多くのクジラ種を滅ぼす結果となった。
クジラの個体数の大幅な減少に対処するため、国際捕鯨委員会(IWC)は1982年に商業捕鯨モラトリアム(一時停止)を採択した。ポルトガルはこの決定を支持したため、ポルトガルの自治地域であるアゾレス諸島も商業捕鯨停止の決定に従わなければならなかった。そして、地元と世界の環境保護団体からの圧力により、アゾレス諸島における捕鯨はついに終焉を迎えた。
クジラとイルカの観察に対しては厳格なルールが設けられている/Francisco Garcia/Courtesy Terra Azul
新たな始まり
しかし、捕鯨から離れたことにより、アゾレス諸島には新たな産業や活動が生まれた。1990年にフランス人のセルジュ・ビアレル氏がアゾレス諸島のピコ島で初のホエールウォッチング会社を設立した。
「ビアレル氏は、クジラを殺さずにクジラで生計を立てることも可能であることを示した」と語るのは、アゾレス諸島最大の島、サンミゲル島に拠点を置くホエールウォッチング会社、テラ・アズールの共同所有者であるミゲル・クラビーニョ氏だ。
「(島民たちの)焦点は、すぐに捕鯨からエコツーリズム、(クジラの)保護、教育へと移行した」(クラビーニョ氏)
今日のホエールウォッチングの旅は、単に旅行者たちが楽しむためのものではなく、クジラの研究にも役立っている。地元の科学者らは、ホエールウォッチングを通じて収集されたデータを使って、クジラの行動や移動パターンを研究している。