フランスで所蔵のバイユー・タペストリー、2年間非公開に
(CNN) ピカソの「ゲルニカ」からゴヤの「戦争の惨禍」まで、人類の争いを描いた作品は数多い。しかしその中でも最も古く、最も並外れた作品の一つは、フランスにある11世紀制作の「バイユーのタペストリー」だ。
縦70センチ、横70メートルの麻布の上には、1066年に起きたノルマン人によるイングランド征服の模様が描かれている。この戦いは、外部の敵対勢力がイングランドへの侵攻に成功した歴史上最後の事例だ。ノルマン人を率いたノルマンディー公ウィリアムは、ウィリアム征服王の名でも知られている。
この中世の傑作を制作した人物は、時代の流れの中で忘れられてしまった。しかし制作を委託したのは、ウィリアムの異父兄弟だったバイユー司教のオドと考えられている。タペストリーはバイユーの新たな大聖堂の身廊を装飾するためのものだった。この大聖堂は1077年に聖別された。
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大規模改修後のバイユー博物館の館内イメージ図/RHSP/Courtesy Bayeux Museum/Ville de Bayeux
1983年以降、タペストリーは仏北西部のバイユー博物館の一部を構成する神学校に展示されている。しかし、このプロパガンダ芸術の伝説的な事例を一目見たいという訪問者は、今年の8月31日、現地時間の午後7時までに鑑賞を済ませる必要がある。博物館が大規模改修と保存プロジェクトのため、27年10月まで閉館する予定だからだ。
博物館の再オープンの日程は、ウィリアム征服王の生誕1000年の年に間に合うように設定されている。
タペストリーの図柄で最も有名なのは、イングランド最後のアングロサクソン王、ハロルド2世がヘースティングズの戦いで目に矢を受けて殺害される場面だ。
それ以外に目立った情景としては、ハレー彗星(すいせい)の描写がある。彗星の名前の由来となる英国の天文学者エドモンド・ハレーが生まれるのは、タペストリーの年代の約600年後だ。
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タペストリーの表面から細心の注意を払ってほこりを取り除く様子/Courtesy Bayeux Museum/Ville de Bayeux
バイユー博物館の主席学芸員、アントワーヌ・ベルネイ氏は報道向け発表の中で、閉館中のタペストリーについて、写真の撮影や検査、国が監督する大掛かりな復元作業を実施すると明らかにした。作業を通じ、布地の傷みが一定に保たれるはずだという。
タペストリーの移動や復元の工程は、今年1月に始まった。麻布の生地から慎重にほこりを払い、83年から加えられた羊毛の裏当てを取り除いていく。今秋に保存作業が開始すると展示ケースから外され、保存用の木枠に詰めた上で一時的な保管場所へと移されることになる。