イランの53年政変はCIA主導、初の公式文書確認 米大学
クーデターの準備には英国の秘密情報機関も加担し、プロパガンダ戦術で反モサデク首相の世論醸成を狙った。メディア、宣伝ビラや僧職者を通じ、モサデク政権の弱体化を狙ってあらゆる手段を講じたという。
クーデターは1953年8月19日、CIAと英情報機関が国王支持勢力を結集させ、大規模な反政府デモを実現させたことで成功。文書によると、イラン陸軍も国王支持に転じ、同日昼までには首都テヘランや他の州などで国王支持者が路上に集まり、陸軍部隊がこれに同調したことで大勢が決まった。19日夜にはモサデク政権の要人らは逃走もしくは監禁される事態となった。
CIAはまた、ザヘディ首相の権力基盤の強化などを狙い、首相就任の2日内に500万米ドルの資金援助を密かに行ったという。クーデター後、モサデク氏は死刑判決を受けたが、執行はされなかった。1967年にテヘランで死去している。
クーデターへの米政府の関与はこれまで再三取り沙汰されていた。オバマ大統領は2009年、エジプト・カイロでの演説で「冷戦のさなか、米国は民主的に選出されたイランの政権の転覆に関わった」と認めた。オルブライト元国務長官も2000年、米国のクーデターへの関与に言及していた。
クーデターは米国、イラン両国関係には今なお影を落としており、イランの政治家や宗教指導者は反米感情を煽る材料にも使っている。05年から今年まで大統領を務めたアフマディネジャド氏はクーデターでCIAが犯した犯罪への謝罪を米国に要求もしていた。