20年後も苦痛は消えず、大虐殺被害者の今 ルワンダ
シェルターに身を寄せたマリー・ジャンヌさんは中絶を強く望んだが、そのまま時が過ぎ、陣痛に見舞われた。自分が生んだ女の赤ちゃんを直視できるようになるまでは時間がかかった。子どもはキレジと名付けた。
20年たった今も、娘の誕生日は苦痛を思い起こさせるという。「子どもの誕生日は覚えていない。いいことは何もなかったから。思い出したくなかったので、誕生日を祝ったことはない」
その痛みは娘のキレジさんも受け継いでいる。「私は悪いことばかりの中で生まれた。だから自分の誕生日のことは何とも思わない。誕生日は幸せな人たちのためのもの」。キレジさんは唇を震わせながらそう語る。
「なぜ自分が存在しているのかと、いつも自分に問いかけている。なぜこんなことになったのかと。そして自分には何の価値もないと感じて、とても悲しくなる」