ウクライナ・リビウ(CNN) 戦時には、心の動きが妙ないたずらを色々仕掛けてくる。9日夜、ウクライナ西部の都市リビウで筆者は身震いとともに目を覚ました。近くで爆発が起きたように思えたのだ。実際には電話のニュースアラートが作動しただけだったが、その画面は想像を絶する恐ろしい状況を伝えていた。現場は南部の港湾都市マリウポリだ。
マイケル・ボチュルキウ氏
爆弾が病院を直撃し、産科と小児科の病棟を破壊していた。きめの粗い画像と動画が、世界の終末戦争さながらの光景を映し出す。火のついた車両。焼け焦げた地面には大人2人が頭からつま先まですっぽり入るような大穴が開いている。茫然(ぼうぜん)とした表情を浮かべ、血をにじませた妊婦が1人、救急隊員に連れ出されていく。
この空爆で3人が死亡。十数人以上が負傷した。そこには子どもたちや女性、医師たちも含まれる。思い出すのは2014年のことだ。同様にミサイルによる爆撃があったが、発射したのはロシアの支援を受けたドネツクの分離派勢力で、マリウポリのビルや広場を直撃。少なくとも30人が死亡し、102人が負傷した。後に現地で出会った子どもたちの顔からは、心に傷を負った様子がありありとうかがえた。今、彼らの表情が改めて頭をよぎる。
筆者はこれまで複雑な人道問題を抱える地域での緊急対応に何度も当たってきたが、今回の事態は別物だ。傷つき、殺されているのは我が同胞であり、祖先たちの広大な領土が戦場と化すのを目の当たりにしている。子どものころ、ウクライナに伝わる民謡や詩を通じて知ったその土地は、自由を愛する戦士や反骨精神旺盛な勇者が暮らすのどかな地域だった。夜ごと見る夢の中で、絶望的な気分にとらわれてしまうのも無理はない。
戦争突入から2週間、マリウポリの病院で起きたような殺戮(さつりく)の場面はウクライナ人にとって日々の恐怖の一部となり、もはや頭から消せるものではなくなっている。
また9日時点での国連の発表によると、ウクライナでの暴力が13日経過した中での民間人の死者数は516人。このうち37人は子どもだという。負傷者の報告は900人を超える。
負傷した妊婦の女性を運ぶウクライナの救急隊員とボランティア=9日、ウクライナ・マリウポリ/Evgeniy Maloletka/AP
ウクライナ国内の状況は一段と陰惨なものとなっており、西側諸国はより多くの対策を講じる必要がある。手をこまねいて、このまま事態を悪化させてはならない。米国と北大西洋条約機構(NATO)は慎重な姿勢で戦争の激化を避けるべきだが、世界の首脳は最悪のシナリオにも備え、ここから先は譲れないという点を設定してロシアのプーチン大統領の抑え込みを図った方がいい。女性や子どもにとって安全な避難場所と目される場所を無差別に爆撃することは越えてはならない一線とされねばならず、悪辣(あくらつ)な政権がそれを越えるなど認めてはならない。
ウクライナ当局によればロシア軍はすでに、脱出するウクライナ人を守るため設置された「人道回廊」を爆撃。南部ザポリージャにある欧州最大の原子力発電所の一つとされる施設にも攻撃を行った。またクラスター爆弾など禁止された兵器も使用していると、NATOのストルテンベルグ事務総長が4日に語った。これだけのことがあった後で、筆者は次のように尋ねざるを得ない。プーチン氏の軍隊がこれ以上何をやれば、世界の良心を奮い立たせて行動に当たらせることができるのか? そしてもし、ウクライナ当局の報告した産科・小児科病院への爆撃でもそうした事態が起きないとしたら、一体それが可能な一線など存在するのだろうか?
これまで目にしたように、戦争において人々の間に何かが駆け巡る瞬間は実際にあり、そうした現象はくたびれた国境をも飛び越える。報じられた写真のあまりに陰惨な内容から世界中の人々の良心に火が付き、場合によっては政治家の行動を引き出すことさえある。溺死(できし)した3歳児のアラン・クルディちゃんの写真がそうだったように。15年、うつぶせでトルコの海岸に横たわるその姿が撮影された後には、世界中で苦痛と激しい非難の声が沸き起こった。これが追い風となり、当時のドイツのメルケル首相は自国の扉を開き、シリア難民100万人を受け入れるに至った。
22年のマリウポリから現れた写真はどうだろうか? 赤十字国際委員会は10日、「数十万人の人々が食料、水、暖房、電力、あるいは医療のない状態に置かれている」と警鐘を鳴らした。だがひょっとすると世界は、プーチン氏の見慣れた戦術に対して何も感じなくなってしまっているのかもしれない。普通の人々を殺害したり負傷させたりして住民の士気を損ねる戦略は、シリアとチェチェン共和国でも用いられた。多国間の取り組みでウクライナに武器を供給しようとする動きはあるものの、西側諸国の指導者らは依然として同じ題目を繰り返しているように思える。つまり非難と制裁、禁輸措置と大まかな決まり文句に終始し、クレムリン(ロシア大統領府)に向かって新たな一線を引いて見せることはしない。
フランスでは政府報道官のガブリエル・アタル氏が9日の空爆を「非人道的」、「正当化できない」、「卑劣」と形容。これに負けじとカナダのクリスティア・フリーランド副首相も「我々はウクライナ人が必要としているものについて非常によく理解している」と述べた。同氏とともに欧州を訪れているトルドー首相は、殺傷兵器をウクライナに送るのを見送ったことで批判にさらされた。
しかし一般のウクライナ人に話をしてみれば、すぐに結論が出る。必要なのは言葉以上のものだ。現地にいると、ウクライナ人が孤軍奮闘しているという感覚がある。もはやNATOには、ウクライナ上空の飛行禁止区域設定など望めそうにない。それどころかポーランドが保有するミグ29型戦闘機のウクライナ軍への引き渡しを進めることさえ期待できない。多くの人が筆者に言う。「自分の国のためなら死ぬのも厭(いと)わないが、なぜ我々が究極の代価を支払っているのか? 同胞の男性や女性、子どもの命まで犠牲にして、欧州の安全保障を守っているのか?」
人々の絶望がどれほどのものかは、キエフに住む1人の母親、オクサーナさんが筆者によこしたテキストメッセージで分かる。悲惨な47時間の旅を経てウクライナ西部の安全な地域に移動したオクサーナさんは、1人息子を西側諸国に避難させる手助けを筆者に求めた。その文面にはこうあった。「怖くてたまらず、今は絶望的な気分でいる。心の安らぎは全くない。毎日泣き通しで疲労困憊(こんぱい)。生きる意味を失った。どうか力を貸してほしい」
オデッサに住む母親、カテリーナさんは筆者にこう告げる。カナダや英国といった国から西側での再定住の申し出があるのは歓迎すべきことだが、自分はそれを実行に移せない。「ここ数日ずっとこらえていたが、今日は泣かずにはいられなかった。頭が混乱して、どうやって生きて行けばいいか分からない。この国こそが母国だ。周りを見回しても、どうすればすべてを残して去って行けるのか分からない。友人は皆戦っている。もし国を去れば、裏切りになるだろう。もう諦めた、彼らを信じない、そう言っているようなものだから」
ジョン・シュモルフン氏は、弱い立場にある女性や子どもが安全なウクライナ西部に再定住できるよう支援する組織に携わる。同氏によれば、暴力の激化に伴い、必死の思いに駆られた東部の家族は胸が締め付けられるような決断の末、幼い子どもたちをリスクのある避難用の車列に乗せて西部へ脱出させるという。戦争が始まって2週間余りが経過する中、こうした移動の規模は膨れ上がっている。
現状から抜け出す道のりは不透明だ。制裁と禁輸措置には一定の効き目があり、プーチン氏の取り巻きのオリガルヒ(新興財閥)は今後バカンスを北朝鮮のような国で過ごすのを余儀なくされるかもしれない。もしくは中国が領有権を争う南シナ海の人工島に建設したリゾートだろうか。とはいえ歴史が示すように、プーチン氏はいかなる重要な問題についても約束を守ることのない人物だ。場合によっては政権として故意にうそをつくことで時間を稼ぎ、全く正反対の行動を取る。
ウクライナ当局によると、ロシア軍は民間人が脱出に使用するルートを繰り返し爆撃している。ウクライナ市民に恐怖を与え、完全に消し去ろうとしているように思える。
実際、マリウポリの病院への爆撃に関する回答で、ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官は証拠を提示することなくこう主張した。ウクライナ軍が病院内に「戦闘拠点を設置していた」と。
西側の首脳らは、目覚めて行動を起こすしかないだろう。欧州の団結に協力し、ロシアに対処するほかはない。ひとたびウクライナでの軍事目標を達成したなら、プーチン氏はさらにその先へと進む。西側がそう認識していれば、行動に踏み切るしか道はない。事実、近隣諸国の多くが神経をとがらせながら同氏の次の動きを注視している。
今のところプーチン氏は明確な出口戦略を取っておらず、NATOに対し参戦をあおっているように見える。制裁は宣戦布告と同義だとする声明などにそれが表れている。ラトビアのパブリクス国防相が指摘するように、「NATOや欧州相手に戦争をしたくなれば、クレムリンはいつでも理由を探し出せる」。
従ってNATOの当局者らは、少なくとも心理面においてはプーチン氏との直接対決に備えた方がいい。最悪の事態に備えておくに越したことはない。後でプーチン氏の思惑通りにそうせざるを得なくなるよりはましというものだ。
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マイケル・ボチュルキウ氏は世界情勢アナリストで、欧州安全保障協力機構(OSCE)の元広報担当者。現在は米シンクタンク、アトランティック・カウンシルのシニアフェローを務める。CNNには論説を定期的に寄稿している。記事の内容は同氏個人の見解です。