ヘンリー王子が回顧録で明かしたこと 9つのポイント
7.大衆紙のスキャンダル報道に弁明
ヘンリー王子は05年に仮装パーティーでナチスドイツの衣装を着て非難を浴び、謝罪したことがある。
回顧録ではこの件について、パイロットとナチスの衣装で迷い、ウィリアム皇太子夫妻の意見でナチスの制服に決めたと主張した。衣装を借りてきて夫妻に見せると、大笑いしていたという。
士官学校時代の09年にパキスタン人の仲間を「パキ」という蔑称で呼んだ映像が物議を醸した件については、差別的な言葉だとは知らなかったと弁明した。
8.10代でコカイン使用、年上女性と初体験
17歳のころ、週末の狩りで訪れた「だれかの田舎の屋敷」でコカインを勧められ、その後何度か使用したことを認めている。
「周りのみんなのようには楽しめなかったが、いつもと違う気分になれた」と回想し、当時は不幸のどん底でもがき、「違う気分」になることが大きな目的だったと明かした。
また、年上の女性との初体験を「不名誉なエピソード」として紹介。相手の名前は明かさず、「馬が大好きな女性で、私も若い雄馬のように扱われた」「場所が混雑したパブの裏の草原だったのも間違い。だれかに見られたに違いない」とつづった。
9.母の死をめぐる気持ちの整理
母のダイアナ元妃は1997年、ヘンリー王子が12歳の時に、パリのトンネルで起きた交通事故で亡くなった。
王子は2007年にラグビーのワールドカップ準決勝でパリに招かれた最初の夜、運転手に頼んで事故現場のトンネルへ向かい、母の乗っていた車のスピードとされる時速105キロで走ってもらった。
ずっと危険な道路を想像していたが、「短くて単純な、質素な道だった」「人が死ぬような道ではなかった」という。運転手にもう一度、トンネルを通ってほしいと頼んだ。
気持ちの整理をつけたいと願い、トンネルを通過すれば苦しみから一時的にでも解放されるだろうと期待していたが、実際には「苦しみの第2部」が始まっただけだったと、心情を吐露している。