(CNN) <注意:本稿は、暴力がもたらす影響に関して不快に感じるような描写を含みます。>
痛みを訴える子どもの金切り声が、医療用テントの中に響き渡る。ここはパレスチナ自治区ガザ南部にある野外診療所だ。7歳の男の子が重い火傷(やけど)を負った背中に消毒を施され、薬品を塗られている。苦痛を伴う処置のため本来なら麻酔が使われるところであり、病院内の無菌化した設備の中で行うのが理想の環境というものだろう。しかし7カ月近く爆撃や砲撃が続くガザでは、既にあらゆる状況から本来の適切さすら失われている。ましてや理想の環境など望むべくもない。
アルワ・デーモン氏/CNN
筆者は現在ガザにおり、自身の慈善団体「支援、救済、援助のための国際的ネットワーク(INARA)」で人道的な任務に従事している。この団体を設立した2015年は、まだCNNの上級特派員だった。今取り組んでいるのは医療拠点の設置と、避難所及びキャンプの数の拡大だ。
過去20年間、紛争地域で活動してきた。ジャーナリストと人道主義者としての両方で。時々イラク、シリア、リビア、アフガニスタンでの記憶を整理してみる。包囲攻撃や飢餓、安全な場所を求めて逃げる家族について思い出す。そうすることで、何がガザにおける苦難をこれほど異なるものにしているのかを突き止めようとしている。
答えは結局のところ、全て自分の周囲にある。つまり心理的な閉塞(へいそく)感だ。ガザでのトラウマ(心的外傷)が別物なのは、そうした閉塞感が一貫して続くからに他ならない。個々のトラウマが連日積み重なり、休むことがない。それこそ、ごく短い休息さえ訪れない。
死と破壊はガザでの戦争に限ったことではないが、その規模と範囲は他に類を見ない。強度と、残忍性についても。
ひっきりなしの爆撃は1本の短剣となって、ぱっくり開いた心の傷口に繰り返し突き刺さる。昼夜を問わず響く執拗(しつよう)なドローン(無人機)の機械音が、嘲(あざけ)りの言葉に聞こえてくる。「おや、生き延びたつもりか? いいから待ってろ。どうせ死がやってくる」
叫び声を上げる男の子の母親は、疲労で意気消沈した様子だ。頭を両手で抱え自分に対してか、それとも息子になのか、「大丈夫。もうすぐ終わる」と、つぶやいている。
実際はそうではない。彼女が息子を家へ連れて帰ることはない。彼らの家はもう存在しないのだから。ここ数日は、蠅(はえ)のたかるテントが家の代わりだ。戦争前とは違い、男の子にアイスクリームを食べさせてやることもできない。飢餓は依然として脅威であり続けている。限られた食料として割り当てられるのはいつも豆類の缶詰めだが、それでも心底ありがたく思う。彼女は息子にこう言ってあげることができない。「何もかも良くなる。もう安全よ」。口にしたところで、本当のことでないのは明白だ。どんな幼い子どもにだって、それくらいは分かる。
独特の死臭がして、テントをのぞき込む。1週間前に殺害された人たちの遺体から発する臭いだ。遺体は回収されたばかりで、この野外診療所に運ばれてきた。遺体袋に入れ、目録に載せる。最も小さな遺体は幼児のもので、筆者の腕ほどの大きさだ。それ以外の遺体は、体の一部でしかない。足首から下の部分や、半分の長さになった脚がちらりと目に入る。隅の方で男性が一人、しゃがみこんで静かにすすり泣いている。一部しか残っていない遺体は彼の親類のものだと、キャンプで働いている人が筆者に教えてくれた。
これが日常の光景だ。こうした身の毛のよだつ喪失と苦難に、現地の住民らは日々耐えている。身体的に無傷の人々であっても、大抵は精神的に壊れてしまう。
国際非政府組織(NGO)「セーブ・ザ・チルドレン」が実施した22年の調査によると、ガザの子どもたちの80%前後が悲しみや気持ちの落ち込みといった否定的な感情を抱いているという。そこには苦悩や恐怖も含まれる。23年10月7日にイスラム組織ハマスが奇襲を仕掛け、今回の戦争が起きる前からそうした状況だったということだ。現在この数字は間違いなく100%、もしくはそれに極めて近い水準に達している。筆者が取材した親や保護者は、子どもたちが恐れや不安、怒りを抱えていると説明。おねしょや暴言を吐く傾向のほか、時には過度に用心深くなる、ヒステリーを起こすといった行動も見られるという。
問題は、この種のトラウマの影響に対処できないにもかかわらず、それが日々続いていくことだ。現在、筆者の所属する少人数のINARAのチームは、13の避難所と即席のキャンプでサービスを提供している。温かい食事や洗濯可能な肌着類まで、あらゆる物資を配給しているが、活動の核心は精神衛生並びに心理社会的な取り組みを子どもたちのために運営することに集約される。それは集団での遊びやゲーム、芸術など創造性を発揮する場を含む。
そこでは、この戦争を生き延びた人々の状態について、これまでにない目の覚めるような深い示唆が得られる。形のある建物なら最終的には再建できるかもしれないが、ガザ市民のもろく傷ついた心を完全に治すことは誰にもできない。手術と包帯は、ガザ市民が喪失感と砲弾の恐怖から立ち直る助けにはならないのだ。
子どもたちは、遊びを通じて自分を表現する名人だ。筆者のグループが提供する活動は、体ではなく心を対象にした緊急介入に他ならない。言い換えれば、一時的な気晴らしを生み出して、子どもたちにちょっとした安らぎを与えようとしている。彼らが楽しみに待つような安らぎを。
アルワ・デーモン氏が子どもたちとの活動をリードする。ガザ南部にある、INARAがサービスを提供する避難所の一つで/Arwa Damon/INARA
チームが到着した瞬間、子どもたちの顔はパッと輝く。我が子が笑うのを見て、親たちも少し救われる。子どもたちが大きな声で歌うので、遠くのドローンや爆発音はかき消される。彼らが踊り、遊び、競走するのを見ている時、筆者の視線はピンクのプラスチック製の椅子に座った少女に向かう。手にはキラキラした緑色のドレスを着た人形を持っている。少女は他の子どもたちを見ているが、本人はこの場にいないかのようだ。これまで、このような大人や子どもを何度も目にしてきた。体はそこにいても、感情が完全にそこにあるわけではない。
少女を見てふと、過去に出会った別の子どもを思い出した。4歳のアフメド君とは数カ月前、エジプトの病院で会った。彼はそこに避難して治療を受けており、髪を半分剃(そ)られていた。長く、炎症を起こした傷が一つ、フランケンシュタインのように頭皮に走っている。その上から、また髪が生え始めていた。
近い家族の中で生き残ったのはアフメド君ただ一人だった。本人と姉妹、両親が避難所に向かって逃げていた時、近くの建物が爆破された。「この子も死んだと思った」。共に避難した祖父が筆者に言った。「だが10日後、この子を病院で見つけた」
祖父はアフメド君に何が起きたのか、本人が何を目にしたのか知らない。両親や姉妹が泣き叫ぶのを聞いたのか、それとも彼らが即死だったのかは分からない。よく話をする子どもだったアフメド君は、以来一言も口をきいていない。それでも反応はある。筆者が本やプラスチックのブロックのようなおもちゃを持って行くと、目を輝かせて少しだけ笑顔になる。筆者とハイタッチをし、手を振ってくる。
祖父に、どうやって自分自身持ちこたえているのか尋ねる。「現状については何も考えられない。息子とその妻、孫娘について考えたり、嘆いたりすることができない」。ため息交じりにそう答え、首を振る。「どうしたらいいのか分からない。どこへ行けばいいのか、暮らしがどうなるのか、見当もつかない」
人質の解放を条件とした停戦の交渉も、前向きな流れが二転三転して結局決裂。パレスチナ人の精神的苦痛が増すだけなのが実情だ。希望は危険な代物で、打ち砕かれるたびに傷が深まっていく。数カ月にわたって膠着(こうちゃく)状態が続いた後、交渉進展の可能性を巡る複数の報道は、希望と共に不安も呼び起こしている。
イスラエルは、交渉によってハマスが10月7日のイスラエルへの奇襲で連れ去った人質129人のうち少なくとも一部を解放しなければ、ガザ南部ラファへの大規模な地上侵攻に踏み切ると公言している。ラファには100万人以上のパレスチナ人が避難している。米国を含む同盟国はイスラエルに対し、そのような作戦を実行しないよう警告。さらに多くの民間人が死亡しかねないためだと主張する。しかし今月7日、イスラエル軍はラファ検問所のパレスチナ側を制圧したと発表した。エジプトとの国境に位置するこの検問所は、ガザへ支援物資を届ける際の重要な入り口となっている。
3月、エジプト・カイロの難民センターで幼い子どもと遊ぶデーモン氏/Arwa Damon/INARA
守らなくてはならない我が子らと同様、大人たちも苦痛や恐怖、不安を処理できていない。こうした問題は各自の心理を破壊し、正気を失わせる恐れがある。ガザ市民が半年以上どんなことに耐えているのか、説明できる人は誰もいない。それは人々の顔に、とりわけ彼らの生気をなくした目に表れている。気だるく、機械的なその動作を見れば、この7カ月間で彼らの心がどれだけの傷を負ったのかが分かる。
「ゾンビの海の中を運転している」。病んだ頭にそんな考えが浮かぶ。筆者の乗る車はテントや屋台、ロバが引く荷車、行き交う人々の間を縫ってガザ南部を進もうとする。
ただ同時に、それぞれの人から発せられる苦痛の波をかき混ぜているような感覚にもとらわれる。波は相当に力強く、痛烈なため、果てしない海で溺れているかのように感じる。
ある場所に立ち寄ると、一人の母親が筆者の腕をつかむ。「7歳の息子がいます」。彼女が言う。「毎晩叫んで震えている。2カ月ずっとそんな状態です。妹の首が爆弾で飛ばされるのを見てから」
頭の中が凍り付くように感じる。母親の説明の内容だけではなく、抑揚のないその声に恐怖を覚える。母親もその場にいて、全てを目撃していた。彼女が自らの感情をどれだけ深く葬り去らなくてはならなかったかが分かる。そして毎日どれだけ苦闘しながら、感情を浮かび上がらせまいとしてきたかも。もしそれが浮かび上がってしまったら、感情が殻を割って出てきてしまったなら、彼女は完全に壊れるだろう。
母親は筆者の沈黙の意味を読み取っている。あたかも筆者の心を読むように。「私にはまだ生きている子どもがいます。彼らには私が必要です」。同じような声の調子で、そう話す。
この現場にいて初めて、どれほど深く広範な心理的破壊にガザ市民が耐えているのかが理解できる。そしてもしガザが「再建」されるなら、この問題にも対処しなくてはならない。この種のトラウマが完全に癒えることはない。ある程度の回復は可能だが、忘れることは回復にならない。回復とは心の傷が常に監視され、今後それによる感覚の麻痺(まひ)や抑制、衰弱が恐らく起きないであろう状態を指す。
上記の母親と会ってから2~3日後、筆者はバスに乗っている。ラファ検問所とエジプト側の間の緩衝地帯を横断するバスだ。乗客の内、我々国際NGOの作業員は一握りで、残りは大半が女性と子どもだ。医療用紙を持つ人もいる。ほとんどの人々は5000ドル前後という天文学的な額の手数料を企業に支払っている。こうした企業は仲介業者として活動し、移動の承認を与える。
バスの扉が閉まりかけると、若い男性が飛び込んできて母親の手をつかみ、キスをする。彼の母親と姉妹は出発するが、彼自身はここに残る。母親の周囲に座る人たちは静かに泣き、深い悲しみに全員が打ちのめされる。
「生き続けて、息子よ」。母親が男性にそう伝えるのが聞こえる。「生き続けて」
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アルワ・デーモン氏は受賞歴のあるCNNの元上級国際特派員で、現在は非営利団体「支援、救済、援助のための国際的ネットワーク(INARA)」の会長兼共同創設者。記事の内容は同氏個人の見解です。