ミシュランガイドの歴史 タイヤ会社がなぜ一流レストランの格付けガイドになったのか
ニューヨーク(CNN) ミシュランの星付きレストランを予約した人は、なぜ一流レストランの格付けガイドがタイヤメーカーと同じ名前なのか不思議に思うかもしれない。
全天候型タイヤと高級レストランに共通点はほとんどない。だが、シェフやレストランの経営者にとって、100年の歴史を持つタイヤメーカー、ミシュランから認められることは長年の夢だという。
ミシュランガイドは非常に影響力のある格付け制度に進化したが、最初から人々を最高ランクのレストランに誘導しようという意図があったわけではない。今ではその成功は伝説となっているが、元々はずる賢い宣伝キャンペーンから始まった。
家族経営
19世紀後半、アンドレとエドゥアールのミシュラン兄弟は、パリから南に約4時間の田舎町、クレルモンフェランにタイヤ会社を設立した。当時、フランス国内に流通していた自動車は3000台にも満たなかった。道路網は発達しておらず、ガソリンの入手も困難だったため、運転するのは簡単なことではない。ミシュラン兄弟は、人々にもっと車を運転してもらうための理由を与える必要があった。
そこで登場したのが、ポケットサイズの赤い冊子、ミシュランガイドである。
アンドレは1900年初版の序文で、このガイドブックは「給油所や修理工場のほか、宿泊施設、レストランなど、ドライバーがフランスを旅行する際に必要なすべての情報を提供したものだ」と説明している。
ミシュランを創業したアンドレとエドゥアールのミシュラン兄弟/Culture Club/Getty Images
人々がもっと車に乗れば、やがてタイヤは磨耗し、結果的にタイヤの購入が増えるだろうと2人は考えたのだ。
ミシュランによると、ガイドブックはしばらくの間、無料で配布されていた。しかしアンドレは、ある修理工場でガイドブックが作業台を下支えするために使われているのを目撃し、無料配布をやめた。
後に英訳されたオリビエ・ダルモンの著書「The Michelin Man‘s First Hundred Years」によれば、広告に頼らずに有料配布を決定したのは、「自動車が安くなり、性能も良くなったから」だという。
その結果、より多くのフランス人が国内を旅行したいと思うようになり、ミシュランガイドはますます欠かせないものとなった。ドライバーをもっと支えるため、ミシュランは旅行客が専門家に相談して旅程を立てたり、欧州各地の道路地図を入手したりすることが可能なオフィスを開設した。これは同じ頃、米国で発足した米国自動車協会(AAA)と同様のコンセプトである。
「情報の大半は、ミシュランタイヤの出張セールスマンからのものだった。彼らは多くの時間を路上で過ごしていたので、非常に信頼できる情報源だった」(ダルモン氏)
このガイドブックによってタイヤの売り上げが増加したという証拠はない。だが、同社にとって新たな収益源となり、運転に対する社会的な信頼を高める宣伝ツールとしての役割を果たしたとダルモン氏は指摘している。
今日、ミシュランは時価総額およそ240億ドル(約3兆6000億円)の上場企業であり、年間約2億本のタイヤを生産している。ミシュランガイドには現在、3大陸の3万軒以上のレストランが掲載され、販売部数は累計で3000万部を突破した。
運転ガイドから名誉の証しへ
1920年代後半になると、ミシュランのガイドブックに掲載されたレストラン評価は非常に影響力を持つようになった。そこで兄弟は、覆面調査員を雇い、レストランが高級レストランかどうかを判断させる新たな事業を立ち上げた。高級と判断されれば、そのレストランには一つ星が与えられた。
この格付けシステムは進化し、30年代に定められた評価方式が現在まで続いている。一つ星はそのレストランに「行く価値がある」、二つ星は「遠回りしてでも訪れる価値がある」、三つ星は「そのために旅行する価値がある」という意味だ。