米軍部隊、日本本土初攻撃の記憶<1> 存命最後の隊員が回想
米ジョージア州ハウストン郡(CNN) 米ジョージア州ハウストン郡にある空軍基地で先ごろ行われた航空ショーに、第2次世界大戦時の爆撃機B25が登場した。B25は真珠湾攻撃への報復作戦として日本本土を初攻撃した「ドゥーリトル空襲」に参加したことで知られる。これを機に、同作戦に参加した米軍隊員のうち唯一今でも存命のリチャード・コール氏に話を聞いた。
基地ではB25「ショウミー」の離陸を待つ間、双発プロペラエンジンが同機の座席を揺さぶっていた。その姿は、ジミー・ドゥーリトル中佐の率いる部隊「レイダーズ」が空母「USSホーネット」上で出撃に向け待機している様子をいくぶん想起させるものだった。
ドゥーリトル空襲は日本軍の真珠湾攻撃に対する報復作戦として計画された。作戦に志願した隊員は80人。作戦計画は、B25爆撃機16機が日本付近の空母から出撃し、日本の5都市を爆撃するというものだった。参加した隊員はそのまま中国まで飛行し、友軍の支援を得て米国に帰還する予定だった。
1942年4月18日、ドゥーリトル氏と副操縦士のコール氏は、B25の操縦室内でエンジンをかけたまま出撃前の点検を行っていた。
米空軍の退役中佐であるコール氏は現在、101歳。「私はカウルフラップを開閉させて、エンジンが加熱しすぎないよう気をつけていた」と当時を振り返る。
日本政府が作戦についての情報を入手したとの懸念から、出撃時間は12時間前倒しにされていた。この結果、B25の離陸地点は計画よりも数百マイルほど日本から遠くなった。中国で無事着陸することを確実にするだけの燃料は積めなくなっていた。
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次回「米軍部隊、日本本土初攻撃の記憶<2> 多機能・重武装の『B25』」は12月9日公開