サッカーで八百長100回、仕掛けた人物に初のテレビインタビュー
90年代半ばになると、インターネットの普及と同時にフィクサーとしての活動範囲が大幅に広がった。「世界中の試合を見て、狙いやすそうな国やわいろを受け取りそうな人々に目をつけた。自分で会社を作って各国の協会にメールを出し、関係を築いていった」という。
八百長の成功率は70~80%だったと、同氏は振り返る。この中にはオリンピックやワールドカップ予選などの試合も含まれていたという。
これまでにサッカー関連の罪でシンガポールで3回、フィンランドで1回の服役を経験した。4回目の刑期2年のうち1年を終えたところでハンガリーへ引き渡され、警察の八百長捜査に協力している。
同氏はインタビューで「後悔はしていない。そんな時期もあったという楽しい思い出だ」と述べた。また、「サッカーはもはやスポーツではなくビジネス。だれもがこのビジネスで金を儲けようとしている。人々は勝利という結果のためなら手段を選ばない」とも話した。