第2次世界大戦の勝利に貢献、英ロンドンの秘密の地下壕
地下のオフィス
プラットホームに降りて行くと、ダウン・ストリート駅が他の地下鉄駅とは違うことがはっきりと分かる。「オフィスはこちら」や「会議室」と書かれた古い看板の一部には、製図者の鉛筆の跡がいまだに残っている。タイルにはマスタード色の石膏(せっこう)ボードが貼られ、オフィスのような環境を作り出そうとした名残がある。また、最大8人の秘書が座ってタイピングができるよう、床は平らになっていた。
スタッフはここで生活し、仕事をしていた。最長12時間のシフト制で、夜通し働くこともあり、おそらく10日から14日ごとに空気を吸いに地上に出てきたと考えられる。洗面所には粗末なバスタブとトイレが残り、幹部の寝室にある模様の入った壁紙はすすで汚れていた。
それでも、この地下壕はそれなりにぜいたくな空間であった。ホロウェイ氏によると、戦時中は地下壕やシェルターへの配給はなかった。だがここでは、地上の民間人よりもはるかに高級な食事が楽しめた。RECには英国で多くの高級鉄道ホテルを運営していた会社がついており、スタッフらはクリスタルの食器で食事をし、流し台はロイヤルドルトンのものを使用した。
また、スタッフが常駐する調理場と食堂が2つあり、ウェーターもいて、年間2万7000食がここで調理され、消費されていた。
ブランデーと葉巻
バッキンガム宮殿の反対側に位置し、ダウン・ストリート駅から1.6キロほど離れたところにあった作戦指令室は、地下にあったが防空仕様ではなかった。ホロウェイ氏は「爆弾が直撃すれば、そこにいた全員が死亡していただろう」と話す。40年11月までに、人々はチャーチル氏の安全を懸念するようになった。
ダウン・ストリート駅の施設の会長を務め、英国の国会議員ジョサイア・ウェッジウッド氏の弟でもあったラルフ・ウェッジウッド氏は「権力の中心地に非常に近い」という理由で、チャーチル氏にダウン・ストリート駅の地下壕に移るよう説得した。またチャーチル氏に、地下壕は非常に快適で、プライバシーが守られ、ブランデーや葉巻なども充実していると伝えたという。